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Kabamyレポート(第三十一回)二〇一八年九月九日(日)
 於かたらいの道・市民スペース(第2会議室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、飯島章友、沢茱萸、山下一路、屋上エデン、HARUKA、高村七子、吉川満、和里田幸男(購読会員)

 

今回のテーマは「美味しそうな歌」つまり「美味しそうだと読者に感じさせる歌」です。前半では題詠「美味しそうな歌」で歌会を行い、後半では「美味しそうな歌を作るうえで大変だったこと」というテーマで座談会を行いました。

 

〈前半〉歌会
「美味しそうに感じたか」と「歌として良いか」それぞれ別に持ち点自由で投票を行いました。

 

いるはずのないきみいなかったはずのきみぷるんぷるん水のお餅 沢茱萸
美味しそう2点/歌として7点
水まんじゅうを思わせる「水のお餅」の柔らかさや透明感、揺れる様子が、君の存在の不確かさとうまくリンクしている。一方でぼかした言い方になっていることもあり、美味しそうには感じなかった。

 

生活の真んなかに向け湯を注ぐモッチッチアチッチモッチッチ 山下一路
美味しそう0点/歌として3点:
生活の中心に湯を注いで充実感を取り戻そうとしているほど生活が乾いている主体を思わせる。むなしさを強く感じさせ、CMのコピーも楽し気なフレーズがかえって無味乾燥さを際立てる。歌としてはよくできているが、全然美味しそうではない。

 

うまそうなトロがトロリと揺れているこの満足に限りもあらず 吉川満
美味しそう1点/歌として0点
大げさな感嘆の表現が主体の個性を感じさせて面白くもある。トロがトロリはダジャレっぽくなってしまっている。

 

口中にブーケトスするジャスミン茶 細胞たちを潤ませていく 屋上エデン
美味しそう4点/歌として1点
ジャスミン茶の香りの当たりの強さを、幸せな雰囲気を同居させつつ比喩で表現することに成功している。下句での展開も健康的なイメージを醸し出す。印象の良さが美味しそうと感じさせる。

 

海の家の海より辛いらーめんを飲み干したとき波の音する 久真八志
美味しそう2点/歌として0点
暑さや塩分不足で食べるラーメンの味を思わせる。波の音につなげたことで味の印象がわからなくなっている。

 

日に干せばみな仏様の味だよとしわしわばあちゃんがくれたスルメ 高柳蕗子
美味しそう5点/歌として1点
するめの干からびた様とばあちゃんのしわがリンクしている。またばあちゃん自身が仏様のようで、もらったスルメがありがたい感じをまとっている。

 

昼前の肉屋の店頭コロッケをかっぽれかっぽれ揚げる音する 飯島章友
美味しそう6点/歌として5点
コロッケの揚がる音を「かっぽれ」という既にある言葉をオノマトペとして転用して表した点に工夫がある。めでたく楽し気な踊りの雰囲気が、これから揚がるコロッケの美味しさへの期待感を高める。商店街の景気の良さ、活気の良さも感じさせる。

 

葬列に明るいものを食べていた   白いクリームパンの看板 和里田幸男
美味しそう1点/歌として5点
何を食べていたかわからないが、全体的にぼわんとぼやけた光景が浮かび、面白いてざわりのある歌になっている。ただ美味しそうという感じはない。

 

ふわふわと春の香りのまぶされてミモザケーキのゆるやかにとけ HARUKA
美味しそう4点/歌として2点
やわらかい印象の言葉のなかで「ミモザ」の具体的なフレーズが効いている。くつろぎを感じる。

 

 

〈後半〉座談会


(沢)自分が食べたいと思ったもので作ったが難しかった。美味しそうに見えることを念頭に置いた。しかし「水のお餅」とやや具体性を欠いた表現のためわかりにくくなったかもしれない。
(山下)作った歌に意味づけをしたくなってしまい、結果的に暗い雰囲気になってしまった。明るい調子を目指してCMのフレーズを使ってみたが。
(吉川)美味しい歌は難しいという触れ込みだったが実際に難しかった。斎藤茂吉もウナギの歌のイメージがあるが、具体的にどんな歌があったか思い出せない。
(屋上)味を表現させようとするとコピーライティング的な言葉の使い方になり、短歌として良くしようとするときと別の使い方になる。その二つをマッチングさせるのが難しかった。
(久真)みんなが知っている味ということでラーメンを選んだ。ラーメンが美味しく感じる場面として海の家にした。普段は不味そうに食べ物を詠む方を好むので、難しかった。
(高柳)美味しいは美意識につながりにくい単純な価値判断なので、それだけでは短歌としての良し悪しになりにくい。詠いにくいテーマの場合は神仏や生死にからめることが多く、正攻法に近い攻略法かなと思っている。
(飯島)何かの最中ではなく間際を詠むという方針を立てた。できあがる前のワクワク感を出したかった。「かっぽれ」は「コロッケ」の音に近いオノマトペを探していて見つけたもの。
(和里田)やわらかいとか香りがどうとか、言えば言うほどかえって美味しくなさそうだったので、クリームパンの看板だけ提示してみた。自分としては看板に描いてある絵は美味しそうに感じるので。
(HARUKA)これまで美味しそうな歌を作ったことはなかったが、食べ物の歌はなかった。食べ物の雰囲気を詠いがちだった。嗅覚、触覚などを詠みこむことで味の表現を試みた。

 

・食べ物に特化した詩歌のアンソロジーを調べてみたが美味しそうな作品はあまりなかった。例えば俳句ならば茄子は季節感の表現だし、川柳ならアワビは別のものの比喩。短歌ならば歌枕として登場。他の何かを表すために食べ物を用いていることが多い。
・美味しそうな歌が難しい原因として、美味しさを表そうとすると表現が没個性になりがちな点があるのではないか。その理由として、美味しいはある程度誰にも共通の感覚であるため、最大公約数的な感覚を狙いがちになるからかもしれない。
不味さを表現するときの方が独自性を出しやすい。「パクチーはカメムシの味がする」とか。
・オノマトペは五感に訴える表現として用いやすい。美味しさの表現には適している。
「かっぽれかっぽれ」は単に音の表現ではなく、目新しさや元々の言葉のニュアンスを利用している点で優れている。
・美味しそうな歌と、短歌として良い歌はほとんど相関しない。しかし飯島さんの歌はどちらも得点が高く、両立しないわけではない。
・コピーライティングっぽさを目指そうとすると、その言葉を言っている人を感じさせない方向に行く気がする。短歌っぽさと逆になる。
もっとも、優れたコピーライティングはそういった要素と関係なく良いと感じさせる。
・「美味しさ」は良い歌を作るために道具的に使うもので、目的ではないだろう。一方で、食品のコマーシャルのコピー、は商品の売りとして「美味しさ」を表現する必要があり、それ自体が目的となる。
短歌としての良さにはいくつかあるが、「詩情」「リアルさ」の場合はそれ自体が目的にもなり得る。「美味しさ」の表現より階層が一つ上ではないか。「美味しさ」を含め「暑さ」とか単純な感覚は、階層が上のものを表すための手段に過ぎないのではないか。

・短歌では「食べ物」を出して感情などを詠うノウハウは蓄積されているが、逆はまだ多くない。短歌にはまだ開拓されていない領域があり、美味しそうな表現もその一つではないか。

 

〈参加者より〉
・歌会交えての座談会は話が抽象的にならずに良いです。
・企画自体が単純に面白くて、歌会も刺激的だった。そして、「美味しそうな歌」が成功しにくい、詠みにくいについては、いろいろな要因が複合されている、ということが実感できた。ただそれが混沌としたままの実感であり、
要因の洗い出しとか、それを組みあわせて仮説をたてるとかそういう方向での手応えは、あったけれどもやや弱かった。
        
(記/久真八志)
 

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