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【2003年以降の穂村弘作品リスト】

本企画にて作成した2003年以降の穂村弘作品リストを公開します。

※本リストは有志が集めた情報をまとめたものであり、2003年以降の穂村弘作品の全てを網羅するものではありません。

※本リストの情報の間違いによって生じた損害・トラブル等の補償はいたしかねますのでご了承ください。

 

★エクセル版

下記リンクから閲覧、ダウンロード可能です(Googleドライブ利用)

[エクセル版リンク]

URL:https://drive.google.com/open?id=0BzxZ66iatJ96RVVEWGJDeEVlZmc

 

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【発表資料】

・久真八志 『手紙魔まみ』における穂村弘の文体の変容

下記リンクから閲覧、ダウンロード可能です(Slideshare利用)

[資料リンク]

 

・睦月都 穂村弘近作百首選

下記リンクから閲覧、ダウンロード可能です(Googleドライブ利用)

[資料リンク]

※本資料は穂村弘氏ご本人の許可をいただいて掲載しております。

 

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:イベント報告:

Kabamyレポート(第二十回)二〇一六年十月十六日(日)
 於あんさんぶる荻窪(第1会議室)

【参加者】高柳蕗子、久真八志、飯島章友、睦月都、河野瑶、吉川満、前田宏、佐々木遥、石狩良平、嶋田恵一、穂村弘、木村友 (購読会員)足田久夢 (ゲスト)本多真弓、松本宗久、相田奈緒、ユキノ進、國森春野、村井祥子、大村咲希、原田彩加、山城周
今回のKabamyは「研究発表会・穂村弘を追いかける!」と題し、レポーターが穂村弘についての発表を行いました。
なお本企画で作成した「2003年以降の穂村弘作品リスト」ならびに睦月都、久真八志の配布資料はKabamyブログにて掲載しております。左記のURLからアクセスしてください。
URL:http://kabamy.jugem.jp/?eid=23
※以下は発表内容の要約です。詳細は公開している配布資料をご覧ください。

 

【1】『手紙魔まみ』における穂村弘の文体の変容(久真八志)
[方法]
計量テキスト分析手法を用い、『手紙魔まみ』までの穂村弘作品の各品詞の出現頻度を算出し、比較した

 

[結果]
○『手紙魔まみ』以前の穂村作品の傾向
a.名詞偏重  名詞の出現頻度が高い。
b.形容詞、副詞、形容動詞の低頻度使用
c.格助詞「の」の高頻度使用
助詞のなかでは格助詞「の」の出現頻度が高い。これは名詞を多く用いることと関係する(「の」は主に体言につく)

○『手紙魔まみ』で起こった変化
d.品詞の偏りの解消 
名詞の出現頻度が減り、形容詞・副詞・形容動詞の出現頻度が増加した。
e.一部助詞の使用頻度増加
終助詞「ね」「わ」「の」の出現頻度が増加し、他のカテゴリーよりも高くなった。
g.助動詞の使用頻度増加
助動詞の出現頻度が増加し、他のカテゴリーよりも高くなった。特に「ます」「です」

 

[考察]
○『手紙魔まみ』以前の穂村作品
・名詞と格助詞「の」を多く用い、名詞の意味を限定する
・形容詞や副詞、形容動詞をあまり用いない
・論述の展開は妥当であり、論理的にも整合する文であるという印象を与えるように歌の体裁を整える
このような書き方は、不特定多数の人に自分が見聞きした物事を説明することを意図して描かれた文章(報告文書)に似ている。書き手の心情を表に出しにくい。(※参考1参照)

○『手紙魔まみ』作品の特徴その1
・名詞や格助詞「の」の減少により名詞の意味を限定する頻度が減り、また情報を過度に省略したり、前後の関係が不明なフレーズを並べることで、物事の起きている順序や因果関係がはっきりしなくなる
・形容詞、副詞、形容動詞の増加により語り手の判断や心情を知る手がかりが増える
このような書き方は、文脈を既に共有している相手に向けて、自分の心情を中心に話す文章(私信)に似ている。第三者から見れば、不正確で不十分な説明に見える

○『手紙魔まみ』作品の特徴その2
・助動詞「ます」「です」の多用
・終助詞「ね」「わ」「の」の多用
これらは主体が「若い女性」であることを想像させる効果を持つ。このとき想像されるのは、読者の若者観・女性観に基づくあるいはステロタイプな「若い女性」のイメージである。

 

[結論]
・『手紙魔まみ』収録作品は、それまでの穂村作品と比較して二点の特徴を持つ。
‘票圓吠弧を追い切らせない書き方
⊆磴そ性を想起させる終助詞、助動詞の多用
この特徴は、以下のような文体の変化といえる。
◎読者に若い女性を想像させ、それを基に不足している情報を補うよう促す。読者は各々の想像をもとに、主体の知識や心情を推定し、「まみ」という人物を理解できたように感じることを通して、作品に対する理解を進める。


〔参加者より〕
・短歌に使われる言葉の定量分析は昔から行われていますが、品詞レベルでの文体変容分析は初めて見たので新鮮でした。
・会でもすこし話が出ていましたが、形態素解析でなく語のもつ印象とか意味のレベルで分類できればまた別の何かが見えそうだと思いましたが、分析手法として難しすぎたり要素の選定から恣意が除きにくかったりと問題が多くてかなり困難ですね。

 

 

【2】穂村弘作品のテーマの変遷――近作評を中心として(睦月都)
 穂村弘氏は第一歌集『シンジケート』から第二歌集『ドライドライアイス』、「まみ」という少女から穂村弘に宛てた書簡集という設定の異色の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』と、単独名義では歌集を三冊、またその後二〇〇三年にはベスト歌集として『ラインマーカーズ』が出版されているが、それを最後に現在まで歌集はまとめられていない。そのため現状、『ラインマーカーズ』以後約一三年間の穂村作品を扱うには総合誌等を地道にあたるほかないが、今回はその道標となるべく、まずは発表媒体の情報を取りまとめ、これを評論等に広く利用できるような形で公開したい、ということを第一の目的として調査・発表を行った。

 調査にあたってはまず、この期間の作品について久真八志氏とともにTwitterで情報提供を呼びかけ、発表媒体やタイトル等の情報を募った。この結果、計八〇作品を超える情報が寄せられ、これらを随時精査の上でリストに一覧化した。また、寄せられた情報をもとに作品にあたり、計千首以上の歌群から特徴的な歌を百首選出した。なおこの資料はKabamyブログに掲載されており、こちらも参照されたい。

 

 当日の発表では先述の百首選をおよそ二、三年ごとに区切って整理し、各年代のテーマやモチーフ、文体の傾向について考察した。特に重点的に話したポイントとしては、二〇〇六年以降のノスタルジー傾向と、二〇一一年以後の震災や戦争、政治的な視点の導入である。

 

 二〇〇六年、母への挽歌として描かれた連作「火星探検」以降の穂村弘作品では、昭和の風景や家庭の記憶を、子どもの視点から子ども口調の文体で描くという試みが繰り返し行なわれている。さらに言えば、その景は純粋な昭和でなく、また主体もはっきりと子どもではない。実際には大人である作者の顔と、実際に作者の生きる現代との景とがときおりノイズのようにまじり、やや不気味で歪んだ世界が立ち上がっている。この時期、穂村弘は短歌という「私」の詩型を逆手に取って「子どもの私」を再規定し、何度も昭和の、母が生きていた子ども時代を生きなおそうとしているように思われる。しかし実際には四、五〇代で現代に生きている作者が「子ども」視点を仮構することが、SFのタイムパラドックスのように、何度過去に戻っても、景や主体のどこかに常に歪みが出てしまう事態となっているという印象を受けた。

 

二〇一一年以降、震災や軍隊、戦争といった社会的なテーマがあらわれる。特にここ数年の穂村弘作品は、初期の空想的な世界観から母の死をきっかけとするノスタルジー期を経て、現実の社会、現実の自分に少しずつコミットしているように見える。<なにひとつ変わっていない新世界 あなたにもチェルシーあげたい>、<ふりかけで育った子どもたちだけを集めて国を守る軍隊>などは二〇一一年以後に作られた歌だが、ポップな口語体という文体上の理由か、もしくはわれわれ読者の中にある穂村作品を読むコードがまだ空想世界から抜けきっていないという問題もあるだろうが、これらの歌にもどこか浮世離れした空気がまとう。穂村作品が今後モチーフと文体のバランスをどのように取っていくのか、ひとつ注目のポイントとなるだろう。


〔参加者より〕
・穂村さん自身もあまり把握していない短歌を多数収集して今後の穂村弘研究の礎石となるような資料を作成したことはすばらしいことで、大変な努力だと思います。
・「戦争」を歌った歌に関して、お話がありましたが、〈穂村弘の社会詠〉は、もっともっと話題になっていいテーマだと、個人的にここ数年感じています。
・歌集めにエネルギーをかなり消費し、それらの歌に対しての関心を絞り込んで踏み込むところまでいかなくて、いろいろな特徴を睦月さんなりに見つけて報告する、という段階にとどまった感がある。


(記/久真八志)
 

 

 

 

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