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Kabamyレポート(第十四回)二〇一五年十月十二日(月・祝)
於武蔵野公会堂(第4会議室)
【参加者】高柳蕗子、久真八志、吉川満、山下一路、飯島章友、澤田順、河野遙、佐々木遥、佐藤元紀、とみいえひろこ、雨谷忠彦、三澤達世、法橋ひらく、斎藤見咲子、こずえユノ (購読会員)西崎憲 (ゲスト)足田久夢
第十四回の Kabamyは「フラワーしげる『ビットとデシベル』を読む二人」と題し、澤田順と久真八志が当該歌集に関するリポートを行った。

○「ビットとデシベルについて」澤田順

1.名前 名前をつける、変えることによって世界が変わっていくという型の歌がたくさんある。
◆呼称による世界の変容
・あなたが月とよんでいるものはここでは少年とよばれている(61P)
この歌は、あなたの世界と主体の世界で単に呼称が異なることを意味するのではない。あなたの世界での「月」が占めている位置、役割、存在の仕方が、こちらでは「少年」が占めているそれらとパラレルな関係にあるため、言い換えが可能なのである。月は周りにある天体(地球や太陽)や、星座・自然の体系のなかにある。少年は家族や少女などとの関連のなかにある。その関係がパラレルであるということは、あなたの世界の月は少年のように育ったり、笑ったり泣いたり、学校に行ったり、恋をしたりするのかもしれない。月と少年を蝶番にして世界をひっくり返しているのが掲出歌である。月と少年の対比(大きいと小さい、生物と無生物、夜と昼、唯一のものと複数いるもの)も効いている。名前が置き換わることによって、その対象物の世界とのつながり方が変容する。
・東京というのは湖の名前ではない夜の電話でそのことを伝える(62P)
・洗濯は静かにはできないこと きみがいる窓の向こうを雲雀【ひばり】と呼びながら(P23)

◆擬人(擬生物)化
・五月をシロと名付ければシロはいつまでもわたしの鼻をなめるんだ(82P)
名前を付けることによって生物でないものを生物化してしまう。更に対象が動作を始める。そして対話を成立させようとする。
・きみが十一月だったのか、そういうと、十一月は少しわらった(P107)

◆新たな特徴づけによる異化
ある物を表すために大きなタームから入り、特徴を後から付けていくことによって、新しい物に変化させる(異化)
・これは建物なかには人がいてみんな口や手を持つ名前は病院(P162)

◆名前の不在化
何だっけ映画に出てくる動物の名前 何だっけ動物の種類 何だっけ動物って(P121)
動物の名前、種類、概念そのものへと、段階的にわからなくなっていく。ソシュール言語学は「言語は恣意的な差異の体系(言語の差異の体系によって世界の事物が分節され、共通の世界観がつくられるとする世界観)」であるという構造主義的な考え方を持つ。例えば「犬」と「猫」を差異化(分節)することによって、二つを認識できるようになる。名前は、他のものたちと区別しているだけでなく、それらとの関わり(秩序)をも含んで成立する。掲出歌では、だんだん分節の段階が粗くなっていく。ということは、世界の分節がぼやけ、世界そのものの認識がカオスになっていくということである。

2.「私は〜である」対話者を前提として
・じつはぼくはある国の王子なんだと身分を明かしたいのをこらえる(P27)
自分のことを説明する。対話を前提としている。語っている人の普段の仮の姿はなんなのか、生活の実態が気になってくる。
・おれか おれはおまえの存在しない弟だ ルルとパブロンでできた獣だ(P4)
呼びかけによって対話世界を作る。おまえとの関係性でおれを措定する。更に存在しないという。下句でもルル、パブロン、獣であるという。おれが何者なのかどんどん複層化していく。

3.存在・実在
・存在の明るさや歩けなくなった子供や春きたる(P53)
・実在の先生が現れて低い声でいさめる夜の開発区のビットとデシベル(P56)
存在することに対する作者の執着が感じられる。

【参加者からのコメント】
・名前に関する表現は他の現代短歌でも多いかもしれない。
・名前をつけるという行為には俯瞰的な目線があるように思える。自分が名付け直すことで、世界からノイズになる部分を排除している。そうして創造主になろうとしているような、ある意味で不遜なやり方である。
・「自分を投げ出しながら生きていく」「ここを蝶番にして世界をひっくり返す」など、説明されるなかで出てきたフレーズにはっとすることが多かったです。
・『ビットとデシベル』は「何か」を一生懸命攻略している、と、私なりに興味を持っていた。澤田さんのいろいろな点に着目した考察はそれぞれに意義があり、『ビットとデシベル』が「何か」を攻略する方法をいろいろあげていただけたと感じた。
・このところ、なぜ人は短歌であれ物語であれ、読んだり書いたりする必要があるのだろう、とつらつら考えていたことへの個人的な解決の一助となりました。シニフィエ、という言葉は説明にとても便利。熱いリポートで、愛が伝わってきました。


○「アイデンティティの非統合をいかに体験させるか」久真八志

※以下はレジュメ抄録です。久真の発表分についてはWebで全編公開しています(http://www.slideshare.net/YatsushiKuma/ss-53831208

1.前置き〜アイデンティティと権力の関係について
◆権力とアイデンティティの関係
差異化:分類するための線を引き、カテゴリーを作り出すこと。
優位性のある者は線引きによって階層を作り出し、権力を揺るぎないものにしようとする。それと同時に、その線引きが正当なものや自然なものであるかのように扱う(例:「差別ではなく区別」等の言い回しを用いる)ことで、権力が不当に存在することはもちろん、線引きが権力の階層を生じさせた(ている)こと自体を隠蔽しようとする。
アイデンティティ:差異化によって作り出されたカテゴリー。
「何者であるか」を示す社会的な標識として利用される。
アイデンティファイ:既にあるアイデンティティを他人や自己に当てはめること。レッテルを貼る。
※BD:ビットとデシベルの略

◆差別の類型(上野千鶴子による)
(1)単相差別 差別の次元が単一である状態
(2)重層差別 多元差別。複数の次元の差別が重層化し、蓄積した状態
(3)複合差別 (2)のうち、差別相互の関係にねじれや逆転がある状態
“複数の差別が、それを成り立たせる複数の文脈のなかでねじれたり、葛藤したり、一つの差別が他の差別を強化したり、補償したりという複雑な関係にある”(上野千鶴子「複合差別論」 岩波講座現代社会学15「差別と共生の社会学」p203]

2.「ビットとデシベル」作品の特徴
◆BD作品の基本構造
暴力または暴力性のある行為(侮辱、威圧等)といった権力の不均衡を匂わす描写を入れる
,砲茲辰堂里里覆に、アイデンティティの背後に隠されている権力の不均衡を可視化する
複数のアイデンティティを登場させる
,良措未筌▲ぅ妊鵐謄ティを複合的な権力関係(互いにねじれや逆転がある状態)に配置する

◆BD作品における権力の複合性を読み解く
〈説明の見方〉
作品
 [アイデンティティの次元]
該当する作中の人物他(上位属性の呼称)→該当する作中の人物他(下位属性の呼称)
※該当する作中の人物他が明言されていない場合はN/A (該当なしの意)と表記

〈作品を読む〉
・呼吸の荒い女の上で性器があまり固くならないことを嘆いている夏のはじめ (79P)
軸1 [性] 主体(男性)→女(女性)
軸2 [男性] N/A(雄々しい男)→主体(女々しい男)※生殖能力を持つか持たないかによる線引き
・ぼくらはシステムの血の子供 誤字だらけの辞令を持って西のグーグルを焼きはらう  (16P)
軸1 [親子] システム(親)→ぼくら(子)
軸2 [雇用] N/A(雇用者)→ぼくら(労働者)
軸3 [人種] グーグル(白人)→ぼくら(日本人)
軸4 [資産] グーグル(経済強者)→ぼくら(経済弱者)
軸5 [情報] グーグル(情報強者)→ぼくら(情報弱者)

3.「ビットとデシベル」は何を読者に体験させるか
BD作品の基本構造(続き)
読者の体験として、
ヅ仂貎擁を、複数のアイデンティティを安定して持った人物として把握できない
Ε▲ぅ妊鵐謄ティの非統合を強く感じる
〈アイデンティティの非統合〉
ある人物が自らの複数のアイデンティティを安定したものとして常には認識できない状態

 [結論]
BDの作品群は個人のアイデンティティが非統合的であることを読者に鮮明に体感させる。

【参加者からのコメント】
・ほとんど考えたことのない角度からのアプローチでした。ほかの歌集 にたいしても有効かどうか、やってみて欲しいとも思いました。均一に見えるけど、歌のアイデンティティーってけっこうみんな揺れてるかもしれません。
・見ては都合が悪いことは、ほんとうに注意していても見ない。たとえばそういう癖を、いかに理性を働かせて超えていくかという、詩歌は〈知の方法〉という面があると、わたしも思います。また、見るべきものを見るために例えば「複合差別」という名付けをする有効さがあるという点で、澤田さんのテーマともリンクしていて、おもしろかったです。
・「アイデンティティの非統合」という切り口の発見、それを権力や差別から解き明かして、こじあけていくことに驚嘆。むろん、これでこの歌集をすべて語れるわけではないけれど、『ビットとデシベル』には、こういうふうにしかこじあけられない面が確かにあると思った。
(記/久真八志)
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