本企画にともない斉藤斎藤作品に関する評論、また斉藤斎藤自身の発表作品や評論の情報をお寄せいただきました。

以下にその情報をまとめたリストを公開します。(エクセルファイル。Googleドライブ使用)

 

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斉藤斎藤に関する資料リスト

 


 

Kabamyレポート(第二十四回)二〇一七年六月十八日(日)
 於あんさんぶる荻窪(第1教室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、藤島優実、吉川満、足田久夢、飯島章友、中成、山下一路、河野瑤、乗倉寿明、あかみ (ゲスト)ユキノ進、花笠海月、二三川練、神垣文明、牛尾今日子、伝右川伝右
 
 今回のKabamyは「論点を探そう!評から読みとく斉藤斎藤「人の道、死ぬと町」(前半戦)」です。2月に実施した関心のある歌集アンケート同率一位の斉藤斎藤「人の道、死ぬと町」を取り上げます。たたき台になる評を決めて、それを基に作品について何らかの結論を出していこうと思います。
またKabamy22で考案した長期戦システムを採用します。今回は前後半の、前半戦となります。

 

〈事前課題〉
あらかじめ選定した斉藤斎藤歌集または収録作品に関する評論を参加者に読んでもらいました。
[A]斉藤斎藤論(*斉藤斎藤に打ち消し線)  山田消児
「Es 24号 囀る」2012年11月

 

[B]短歌時評 第82回 「はじまりの対話」と斉藤斎藤  錦見映理子
「詩客」サイト「短歌時評」2012年12月21日
http://shiika.sakura.ne.jp/jihyo/jihyo_tanka/2012-12-21-12517.html

 

[C]一首鑑賞 くす玉から平和のハトが弧をえがくドームの骨の上の青空
都築直子  日々のクオリア 2013年9月13日
http://sunagoya.com/tanka/?p=10927

 

[D]他者と併存すること 花山周子
黒日傘5号 2015年9月28日

 

[E]地上5ミリの視点 大辻隆弘
青磁社ホームページ 短歌時評 2008年2月12日
http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_080212.html

 

〈当日〉
(1) イントロダクション
・各参加者に「主張に同意できるかはともかく、最も重要な論点を扱っている評論」を選んで挙げてもらう。
・人数調整し、取り扱いたい評論ごとにと4人グループを作る。今回はC以外の評論を1グループずつで担当することになった。

A:高柳蕗子、吉川満、足田久夢、乗倉寿明、
B:山下一路、二三川練、神垣文明、牛尾今日子
D:河野瑤、藤島優美、ユキノ進、伝右川伝右
E:中成、飯島章友、あかみ、花笠海月

 

(2) チーム作業 
目的:「歌集『人の道、死ぬと町』の特徴は〇〇である」という結論を出すこと。

・ピラミッドストラクチャー(PS)の作成
各グループで取り扱う評論のロジックを整理してもらう。
ピラミッドストラクチャーとは、文章の【主張】←【理由】←【根拠】←(根拠の根拠……)という構造に整理した図。
なお、ここでは根拠として妥当かどうかは一旦置いておく。
 


・反論の検討
作ったPSの理由と根拠の部分に反論を思いつく限り出す。 

・主張の採用可否を判断
PSを見ながら、反論にどうすれば応えられるかを検討。
反論に応える根拠が用意出来そう→主張を採用
根拠や主張を手直しすれば採用できそう→修正案を立案
・結論を一本化
各チームの結論(対象評論をたたき台にしてできた主張)をまとめる


(3)ラップアップ
各チームごとに発表 
最終的な結論を述べ、その経緯を簡単に説明。

 

A:山田によれば「斉藤斎藤の方法は、私性の極北にあり従来の感覚を逆なでする。必ずしも支持しないが、わかる」という立場で書かれている。斉藤斎藤の意図を説明しきれていないのではないか。
斉藤斎藤作品への違和感を起点にさまざまな検討をしているが、作品を否定はしておらず、評価もしている。ただし結論がはっきりしない部分が多い。山田が「私性」と呼ぶものが不明確で、自意識と言いかえたりしている。
唯一はっきり言っているのが「作者の歌と他人の歌を何の注釈もなしに混ぜたら混乱する」という部分(※)である。「他人の歌に自分の歌をまぜた」という重大で具体的な例に字数をさいていることから、それが「私性」の本質をおびやかす事例として山田はうけとめたと思われる。このような手法で生じる混乱には底なしの不確かさがあるともいえるか。
(※「予言、〈私〉」は発表時、連作に組み込まれている岡井隆の歌の出典表記がなかった。歌集では出典の情報が追加されている)

A

 

B:【斉藤斎藤の歌は、3・11以後に明らかになった現実を提示するための手法で作られている。】なお、“3・11以後”とは、現実の質的変化ではない。
 錦見は、従来のひとつの〈私〉を示す短歌に対して、斉藤斎藤作品は時間や視点の混在があり、複数の「今、ここ」(複数時間、複数の誰かの存在)を表しているとする。3・11以後の現実が変化しており、それは今までの短歌の方法では捉えられない一方で、斉藤斎藤の方法でならば捉えられるかもしれないと錦見は考えているようだ。しかしこの手法はそもそも3・11以後の現実を捉えるために作られたといえるのか、また3・11以後に現実が変化したといえるのかは検討の余地がある。今回、私たちはあくまで3・11以後に「明らかになった」現実を、「把握」ではなく「提示」する手法であるという言い方に留めた。

 

D:【他者の歌の言葉を連作にすることによって斉藤斎藤は当事者しか謡い得ないという短歌の限界を越えようとしている。】
 花山は他者の言葉を使うことで短歌の〈私性〉の限界を超えようとしている、としている。例えば当事者として詠うことはできない限界の問題。
ただ「〈私性〉の限界」と言う表現をしたとき、では〈私性〉とは何かといったおなじみの議論に戻ってしまう。花山の評論は短いためその定義は書かれていない。
私たちは、花山の結論をベースとして、〈私性〉という言葉は曖昧なため排し、より限定的に書き直した。補足:なりかわりで詠うことの倫理を、他者の言葉を使うことで担保しているのではないか。複数の当事者の言葉を扱うために連作である必然性があった、など。

 

E:【斉藤斎藤の視点も吉川のそれと同じく「地上5ミリ」からのものではある。】大辻の評論は論理的には正しいが、結局、斉藤斎藤の目指しているものを捉えきれなくなってしまっているのではないか。
 大辻によれば、斉藤斎藤は吉川宏志による妻を詠んだ作品を「地上5ミリの視点」と分析しつつ妻をやや見下していると指摘している(斉藤斎藤の評論「妻はさびしい」)が、斉藤斎藤のなりかわりのフィクション(「今だから、宅間守」)も「地上5ミリ」である。大辻の言う通り、斉藤斎藤作品も現実から離れた点があるとはいえるが、吉川と斉藤斎藤ではまず目指していることが異なるのではないか。それをどちらも「言葉を発することは本質的に『われ』を現実から引き離す」といっしょくたにまとめてしまうのは、分析の解像度が低いのでは。またそもそも、歌に詠むことと、なりかわり、フィクションを同一視してよいかにも疑問の声があった。

 

〈参加者の声〉
・一つの評論に対してグループで話し合いながら図式化して論じるというやり方は初めてで新鮮でした。評論を初めに読んでいたときとは違った印象を受けたり穴が見えたりと、気づけなかったところに気づくことができてよかったです。また、歌集ではなく歌集の評論を読むことで、歌集に対する理解も深まったように感じました。大変面白かったです。
・考え方やまとめ方を最初に示すのは議論を活発にさせるための手法だと思いますが、短歌についてはみな言いたいことを持って集まっているので、そういった手法なくてフリートークでもよかったのではないでしょうか。
・「評論の言葉尻に振り回されて言いたいことがいろいろ出てきてしまう」という現象のほうがはるかに強くて、本質的なことに迫りきれなかったように思えた。その現象をうまく回避できる方法があれば、みんな余計なことを考えずに済むのだが、と思った。

(記/久真八志)
 

 

 

Kabamyレポート(第二十二回)二〇一七年四月十六日(日)
 於あんさんぶる荻窪(第1教室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、藤島優美、吉川満、白糸雅樹、木村友 


 今回のKabamyは「天使・噴水・飛行船 杉崎恒夫と井辻朱美比べ読み!」です。杉崎恒夫さんと井辻朱美さんの作品を読み比べて、二人の作風の違いを考えてみようという企画です。

 

(1)イントロダクション 
作者名を隠して井辻、杉崎、その他の作者の短歌を見せ、作者名を当てはめるクイズをしました。


・天使
佐藤弓生(A)これもまた天使 くまなくひらかれてこころをもたぬ牛乳パック
井辻朱美(B)甘藍を抱ける天使 生きるとは夢でなければ夢になるべし
杉崎恒夫(C)クリオネは氷のいろに透きとおり天使もどきに疲れてしまう


・噴水
井辻朱美(A)たてがみをひらけ椰子の木(アルハンブラにたったひとつの噴水のように)
杉崎恒夫(B)夏休みもおわりとなれり噴水は配水管のなかの休日
東直子(C)噴水のような約束十時ごろ雲公園にわらわらと人


・飛行船
杉崎恒夫(A)飛行船そなたを旅へかりたてるラグビーボールほどのたましい
光森裕樹(B)ビル背面をゆきてふたたび出て来ざるツェッペリン忌の飛行船かな
井辻朱美(C)銀の尻の象のごとくに浮かびいる飛行船など 秋の教室

 

正解率は半分ぐらい。意外に判定は難しいようです。ただし、同じキーワードを使った歌でもなんとなく扱い方、キーワードの醸し出す雰囲気が異なることがわかりました。

 

 

(2)進行の説明
・「作風」の一要素として、あるキーワードをどのように扱うか、を今回は考える
・「天使」「噴水」「飛行船」は杉崎さんと井辻さんが共通で他の作者よりも高い頻度で使うキーワードであることがわかった。
【闇鍋調べ】
「天使」率 全体:0.17%   杉崎:1.72%  井辻:1.03% 
「噴水」率 全体:0.13%   杉崎:1.41%  井辻:1.45%
「飛行船」率 全体:0.05%   杉崎:0.94%  井辻:0.72%
※母数……全体:63423首 杉崎:639首 井辻:1170首

 

(3)キーワードマップを作ろう
・3つのチームを作り、各キーワードを割り当てる
「天使」チーム:吉川、木村
「噴水」チーム:高柳、藤島
「飛行船」チーム:白糸、久真


・各チームは、割り当てたキーワードから連想する物事を自由にたくさん挙げる
大き目の付箋に書いて、模造紙に次々貼っていきます。インターネットなどで調べてもOK。連想された単語の一例は以下の通り。
天使……翼、性別不承、ラッパ、審判、救い、西洋
噴水……生命力、形をもつ、技術、公園、涼しい、石像
飛行船……冒険、爆発、広告、大きい、空、レトロ


・印象(雰囲気、感じ)の近いものをグループ化する。グループの目安は5ケ前後。
付箋をグループごとに貼り直してまとめていきます。
・各グループの「トーン」を一言二言で表して、分類する。
グループに見出しをつける作業です。各キーワードは以下のトーンに分類されました。


天使……光と愛情(光のような明るい愛情)、嬰児性と不老不死(永遠にこども)、翼、音楽、天国、宗教

K23-3


噴水……生きてるみたい、生命力、おどろき、西洋・反自然、娯楽(楽園)、人工

K23-1
飛行船……楽しい、あやうい、目立つ、大きい、ふわり、レトロ

K23-2

 

(4)作品をあてはめてみよう
各チームに割り当てキーワードを使った杉崎・井辻両作者の作品を書いた短冊を配布(各作者8枚程度)。歌の短冊を、作品がさきほど作ったトーングループのうち近いものに置いていき、テープで貼る。

 

(5)作者の特徴をずばり言おう
これまでの結果をもとに、「井辻作品の【キーワード】のトーンは〇〇、杉崎作品の【キーワード】のトーンは〇〇。なお二人とも〇〇なトーンからは遠い」という内容をまとめる。それぞれ代表的な一首をそえる。以下は代表的な一首ととともに、近い分類がされた歌を掲載。

 

・天使
杉崎恒夫作品のトーンは「翼を持て余している」
例歌:ぼろぼろの大き翼をもつ天使骨董屋のいうままに立ちおり
天使にはなり得なかったひと夏のかいがら骨の羽の痕跡
鶏小舎に飼われていたのはマルケスのぼろぼろ天使二月ふる雨
井辻朱美作品のトーンは「雌雄なき嬰児性」
例歌:アラビアの月の弧をなす眉というを思えり天使に雌雄なければ
純白のシクラメン立つ冬の隅 天使が鼻をかみすてたあと
こな雪のつつむ足もと太虚よりきりなく降る天使の喃語
どちらの作者とも遠いトーンは「愛情」

 

・噴水
杉崎恒夫作品のトーンは「身体をもつ生き物感」
例歌:噴水のシンクロナイズドスイミングたくさんの脚の立つ時のある
捩れつつ立ち直りつつ噴水を支えいるのは水の軟骨
噴水の立ち上がりざまに見えているあれは噴水のくるぶしです
井辻朱美作品のトーンは「勇ましいパワー」
ひとりではささえきれない碧空のため世界に無数の噴水あがる
数条の不滅のたましい噴水のたちあがるところ楽園となる
根源のなつかしさから立ち上がる巨神兵いな噴水の列
どちらの作者とも遠いトーンは「突然性/観光」

 

・飛行船
杉崎恒夫作品のトーンは「冒険への憧れと不安」
例歌:飛行船そなたを旅へかりたてるラグビーボールほどのたましい
こんなにも明るい秋の飛行船ひとつぶの死が遠ざかりゆく
飛行船が浮いている街 地下道をでてから方位狂いはじめる
井辻朱美作品のトーンは「壮大なもののはるけさ」
例歌:万象のそよぐ地上よりはるかにて飛行船とう無秩序の澄む
愛というこの世の温度ぬぐわれて天青【てんせい】の涯【はて】をゆく飛行船
かずかずのはるかさに生きるものたちよ 椰子の木 雨 そして飛行船
どちらの作者とも遠いトーンは「目立つ」

 

(6)発表
チームごとに結果を発表し、解説する。作者ごとに、キーワードとそのトーンの関係をより抽象化して「作者の言葉の扱い方」をまとめる。ここではまとめ時に出てきた意見を掲載します。
・杉崎さんの「天使」は人間に近く、井辻さんの「天使」は人間とは程遠い存在のように感じる。
・杉崎さんの「噴水」に感じる身体は、足に関連する単語も多く、二足歩行しそう。これも人間に近い。井辻さんの「噴水」に感じるパワーは、世界規模の楽園を支えるような、非常に大きなパワー。
・杉崎さんの「飛行船」は不安というネガティブなイメージは薄いのではないか。死がにおわされてはいるが、死はむしろ身体かの解放程度のイメージで、ポジティブでもネガティブでもなくニュートラルな雰囲気がある。

 

・以上より、杉崎さんと井辻さんの作風の違いを次のように結論付けた。
杉崎作品では、人間的な身体への意識が強く、かつその身体をなくした別の存在(たましいなど。人間ではないもの)が詠われる。井辻作品でも、人間を超越したものが詠われる。このとき、井辻作品では人間と人間ではないものとの間に階層があり、人間には到達できないその絶対的な断絶、距離感が作品の基底にある。一方で、杉崎作品での人間と人間でないもののあいだには階層がなく、地続きであり、容易に転換し得るように感じられる。両者を親和的に、等価的に描くのが杉崎作品の特徴である。


(記/久真八志)
 

Kabamyレポート(第二十二回)二〇一七年二月十二日(日)
 於あんさんぶる荻窪(第1教室)

【参加者】飯島章友、高柳蕗子、久真八志、杉田菜子、藤島優美 
(ゲスト)中成

 

今回のKabamyは「歌集を読む」形式の勉強会(※)の新しいやり方を開発するというテーマで行いました。
※歌集を一冊取り上げ、その考察を行う形式。一人以上のリポーターによる基調発表、パネルディスカッション、参加者による数首選などいくつかバリエーションがある。歌集の批評会なども含む。

 

[1]オープニング
・参加者の自己紹介 

 

[2]これまでの「歌集を読む」勉強会の問題を探ろう
・事前に参加者および非参加ながら協力いただいた方へのアンケートを行っており、その回答をもう一度検討する。
アンケートの設問は「歌集を読む勉強会に出て期待外れだった経験はなにか?」
・回答内容の要点をホワイトボードに書きつつ、「回答者が勉強会に最も期待していたことは何か」を深堀りする。
(主な回答例)
・「忌憚なく厳しいご意見を」と司会者が言うが、「忌憚なく言えない」という根本問題を改善する工夫をせず口先だけで「忌憚なく」と言う程度の問題意識である。また忌憚なく言うのが「厳しいご意見」では「ほめるかけなすか」という次元のジレンマを克服できない。
・リポーターと他の参加者の質疑応答があったが、互いに重視しているポイントが異なり、論点がずれたまま意見が対立する状況が生まれ、場の空気が悪くなってしまった。
・規定のリポート発表時間をオーバーして長引いてしまう。そのあとのディスカッションの時間がなくなる。また時間を守れない発表者はたいていの場合、自分の言いたいことが定まっていない。だから自分の発見したいくつかのことの、ほとんど全て言及しようという構えで、結果的に論点が散漫になってしまう。
・作者の立ち位置とか、思想が問われる場面があったのに、沖縄から来られた年長者(福島の時も)なので、突っ込めない。現場性とか、作者の切実さと、作品の成立とがごちゃ混ぜのまま話される。作品の読み方が問われないと面白くないのだが、当人と対面してだと、かなり際どい話になる。
・作者が仲良しでその友人をただ持ち上げているときは聞いていても新しい発見がなくつまらないと感じる。
・複数のパネリストの意見がけっこう食い違っていたが、それぞれ「私はこう思います」で終わってしまった。司会が議論を促したが、うまく発展しなかた。

 

[3]「今まで勉強会でできていなかったこと」は何か?
・「期待外れだったこと」は「今までの勉強会でできていなかったこと、つまり期待されていたが提供できていなかった価値」である。
・「今まで勉強会でできていなかったこと」のうち、似た意見を集約する
・全員で、特に解決すべき重要な問題を合議で決定する。今回は3つの問題を設定した。
問題A「歌集の新しい見方を成果として提示できない」
問題B「作家(歌人)を論じてしまう」
問題C「相容れない立場の人と話ができない」

 

 

[4]「今まで勉強会でできていなかったこと」を解決するアイデアをたくさん出そう
・2人ずつのチームに分かれ、[3]で解決すべきと決めた「今まで勉強会でできなかったこと」を割り当てる
A解決チーム 飯島、中
B解決チーム 久真、杉田
C解決チーム 高柳、藤島
・各チームはその解決策のアイデアを出す。まずはとにかくたくさんアイデアを出すことを目指す。目標は20個。
※解決策は勉強会のテーマの設定条件や進行のルールなど、イベントを進行させる枠組み(フォーマット)であることとする。個人の力量に依存しないで済むことを念頭に置く。
・各チームは思いついたアイデアを大き目の付箋に書きとめ、模造紙に貼るなどして発想を広げていく

 

[5]もっとも効果的な解決策を考えよう
・各チームは[4]で出た解決策のうち、もっとも効果的なアイデアはどれかを議論し、最終的に提案する一案を絞る。その案に沿った企画書を作る
 企画書の形式:「歌集を読む」形式の勉強会のフォーマット・タイトル・コンセプトを書く

 

[6]コンペ【プレゼン&質疑応答】
・各チームの企画書をホワイトボードに貼り出し、『これからの「歌集を読む」勉強会はこれ!』というテーマの発表を行う。持ち時間は3分。
・プレゼン後、参加者全員で講評。

 

Aチーム
 タイトル:少数精鋭による長期戦
 コンセプト:歌集の新しい見方を成果として提示できない、を解決する
 フォーマット:個人個人が辞書、ネット、書評を活用し予習してくる。少人数(なるべく部外者を含む)のグループ分けをし、発表し合う。勉強会を終えてから時間をおき、もう一回同じテーマ(歌集の新しい見方)で勉強会を行う。
 ねらい:まず既にある歌集評を集め、インプットする。少人数にするのは互いに顔が見える距離を維持し、気軽にしかし集中を維持しながら議論の質を高める効果を狙う。なるべく短歌以外の造詣のある参加者を加えることで多角的な意見を取り入れる。短時間では有効な意見が出ないこともあるので、一度勉強会をしたあと、ある程度の期間を置いてもう一度勉強会を行う。

 

Bチーム
 タイトル:凸凹コンビで読もう!
 コンセプト:作家(歌人)を論じてしまう、を解決する
 フォーマット:リポーターは二人の作者の歌集を比較する。二人の作者は属性(出身地、生年、職業、性別等)に共通でない点があること。二つの歌集はモチーフ・修辞・文体などで似ている要素があること。発表者は属性の違いに関する何らかのデータ(統計、史実)を出すこと。
 ねらい:作者個人の事情ではなく、環境というもう少し拡げた枠組みで作品の背景を捉える。そのために二人の何らかの属性の異なる作者の歌集を選び、その属性にフォーカスして論じる。客観性のある資料を用意することで焦点を明確に、かつ共有しやすくする。歌集はまったくかけ離れたものではなく一見似ていると感じられるものを選定する。

 

Cチーム
 タイトル:この指とまる??
 コンセプト:相容れない立場の人と話ができない、を解決する
 フォーマット:読む人の立場で見解が異なりそうな歌集を取り扱う場合に適用。作者自身に「作者がこだわって発信したいこと」を先行して調査する。調査をもとに読者アンケートを実施する。アンケートでは回答者情報の他、作者の見解や立場に対して賛同・中庸・反対・無関心など共鳴の度合いを訊きつつ、好きな歌を選歌してもらう(例えば二〇首など)。パネリストはこのアンケート結果(共鳴の度合いごとに現われる選歌傾向の違い)を考察の対象にする。傾向に違いがあるならば背景は何か、まんべんなく選ばれる歌があるならばどこに良さがあるか。
 ねらい:歌の技法だけに焦点をあてると、むしろ作者のこだわりや発信したいことを軽視してしまう恐れがある。そこで共通の基盤を得る、客観性をもたせる、作者の意図の尊重の三点を重視したい。そのためまず作者の見解を明確にする。次にあえて作者を含む関係者の立場の違いと選歌傾向を調べて客観性のあるデータに変換することで、参加者間の分断があることを共通認識として得られる。パネリストはその状況を考察することで、各人の立場を尊重しつつ考察が可能となる。

 

【参加者の感想】
・面白かったこととしては、自分の経験について発言し、皆で話し合ったことで、勉強会では新しい見方を見出すといった、今後の目的意識などを確認できたり、実際に勉強会の新しい方法を発想できたと思えることです。
・人が集まって意見交換をする場を有意義にするためには、共通の地盤から出発できるよう「場」を設計する工夫が必要だとわかった。
・勉強会の内容そのものについて話し合うことで、計画も立てやすくなって良かったのではと思います。また「こういうことがあって困った」話が「あるあるネタ」的に共有されていくのが面白かったです。

 

(記/久真八志)
 

Kabamyレポート(第二十一回)二〇一六年十二月十一日(日)
於あんさんぶる荻窪(第1教室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、飯島章友、河野瑶、山下一路、沢茱萸(ゲスト)中崎成、温井ねむ
今回のKabamyは「歌集の副読本ビブリオバトル!」と題し、歌集の副読本を紹介し合いました。また後半には本年度短歌研究新人賞「いつも明るい」(武田穂佳)の選考委員選評を検討しました。

 

 

◆歌集の副読本ビブリオバトル!
【進め方】
1.発表参加者が読んで面白いと思った本(歌集の副読本)を持ってくる
2.順番に一人5分間で本を紹介する
3.それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを行う
4.全ての発表が終了した後に「どの副読本が単体で一番読みたくなったか?」および「どの副読本と歌集をセットで読みたくなったか」を基準とした投票(一人五点持ち。自由に配分)を参加者全員で行い、最多票を集めたものをおのおの『チャンプ本』とする

 

【発表】
◎温井ねむ
副読本「べっちんとまんだら」松本次郎
歌 集「ビットとデシベル」フラワーしげる
 副読本は杉並区の河川敷でゾンビ駆除を行うべっちんとまんだらという少女を描いた漫画だが、ストーリーにはほとんど脈絡がない。作中の描写は彼女の妄想ではないかと思われる箇所もあり、またべっちんは記憶の欠落を抱えている。自分自身に頼るところがないまま、べっちんの強い感情だけが作品を通貫している。ここでは自分自身が感情の穴となっている。
「ビットとデシベル」の作中主体は矛盾するアイデンティティによって分割され、それらが衝突し合うような全体を持たない存在である(久真、Kabamy14) 自分自身が何者かははっきりしないが、強い感情は確かに存在し、大きなエネルギーとして自分のなかに渦巻いている。

 

◎沢茱萸
副読本「性悪猫」やまだ紫
歌 集「燦」河野裕子
 『性悪猫』の中に収められた「天空」という二ページの作品を紹介し、漫画で表現された「短歌的視点」について論じた。作品冒頭に登場する猫(作中主体)の視点が、コマを進めるごとに猫から離れて最後は作者の意識の世界へと転じ、読者も共に「そこ」に連れて行かれるのである。このような体験が、非常に短歌的であると考察した。
 河野裕子の連作「菜の花」の中に「しんきらりと鬼は見たりし菜の花の間(あわい)に蒼きにんげんの耳」という一首がある。やまだ紫は『性悪猫』の次作のタイトルを『しんきらり』とし、作品冒頭で「菜の花」の連作九首すべてを引用している。このことから、当時やまだが河野裕子の短歌に少なからず影響を受けていたことは明らかである。
 つげ義春はやまだ作品について「ストイックすぎて読後のカタルシスがない」と評しているが、「菜の花」が収められた河野裕子自選歌集『燦』を読んで、こちらもまたストイックさを感じずにはいられないのである。

 

◎久真八志
副読本「草食系男子の恋愛学」森岡正博
歌 集「それはとても速くて永い」法橋ひらく
「草食系男子の恋愛学」では、劣等感を抱えているせいで恋愛に対する苦手意識がある男性を草食系男子とし、彼らが自分の弱いところとどう向き合うべきかを説く。男性には自分の弱いところを隠すために身につける鎧があるという。ちなみに発表者は自分のなかの怒りを隠したくて感情を出すのを苦手にしていたため、『電線で混みあっている青空のどこかに俺の怒りの火星【アレス】』という歌集収録された一首に共感を持っている。
歌集の主体は性欲への嫌悪を詠ってもいる。それが行き過ぎて、人を強く愛したいという欲求すら抑えるべき対象になってしまっているのではないかと感じた。人に愛情をぶつけることの激しさを恐れて、それを隠すための鎧として優しさを身につけているように思える。自らの優しさに対する屈託はそこからきているのではないか。

 

◎飯島章友
副読本「川柳神髄」尾藤三柳
歌 集「一握の砂」石川啄木
明治43年に刊行された『一握の砂』には一般的なイメージに反し〈変な歌〉も散見される。この啄木の変な歌は「へなぶり」という明治狂歌の影響を受けていた可能性が高い。狂歌とは五・七・五・七・七で構成される諧謔形式の短歌。〈啄木のへなぶり調〉とはたまに耳にするが、「へなぶり」がどんなものなのかを記した書物は殆どない。ここに紹介する『川柳神髄』は、先日亡くなった川柳家・尾藤三柳氏の評論集。本書は「へなぶり」についても一テーマとして論じている。本書によると「へなぶり」は明治38年2月24日、読売新聞紙上に同紙の川柳欄選者だった朴念仁が「へなぶり」と題する狂歌二首を発表したことに始まり、その後読者からの投稿が寄せられてたちまち人気欄になったという。狂歌・川柳が啄木に影響を与えていたかもしれないと思って読むと実に興味深い。

 

◎河野瑤
副読本「整形前夜」穂村弘
歌 集「羽虫群」虫武一俊
 穂村弘はなぜ痛いおじさんにならないのか。それは驚異をベースにした年齢不詳の若さによるのではないか。穂村は副読本で「驚異こそが詩の源泉である」と断定し、若者は驚異と親和性が高いと述べている。
しかし一方で近年の若者については言葉が共感寄りにシフトしている可能性を述べ、それによって世界が更新されず、より大きな世界の滅びにつながることを危惧する。
虫武の歌はニートや就職面接が題材として取り上げられ、それらへの感慨が詠われていると捉えられがちである。しかし世界への違和感をベースにした驚異の歌も散見される。今の若者は以前よりもこの環境の中で驚異を表現しているのかもしれない、それを知るためにいい歌集であろう。

 

【結果】
副読本のみ:沢茱萸の紹介した「性悪猫」(やまだ紫)がチャンプ本となった。
 【会場意見】短歌と絵の関係性についてインスピレーションを得られそう。
副読本+歌集:飯島章友の紹介した「川柳神髄」(尾藤三柳)+「一握の砂」(石川啄木)がチャンプ本となった。
 【会場意見】これまで石川啄木にはあまり興味が持てなかったが、「へなぶり」という全く知らない見方を与えてくれそう。

 

 

◆短歌研究新人賞「いつも明るい」(武田佳穂)選評の検討
進め方:該当作品の選考委員(穂村弘、加藤治郎、栗木京子、米川千嘉子)の選評や座談会の講評を読み、最も納得できる/納得できない評をしている選考委員をひとりずつ挙げる。
以下、会場意見を抜粋。


・作者を高校生ぐらいの若い年代に想定し、その作歌姿勢に踏み込んで、若者らしいとポジティブに評価してしまっている。想像される人物像と作者が全く異なる年代性別だったとしたら通じないやり方ではないか。それを避けて作品にフォーカスしている委員もいる。
・ほとんどの選考委員が青春にうっとりし過ぎではないか。今の十代の現実が表れていると評価する発言もあるが、年齢がかなり上である委員が、なぜそれを十代の現実だと言いえるのか。自分が体験してきた青春のきらめきを投影して、その良さにうっとりしてしまっているだけではないか。十代の現実は多様であるのが当たり前なのに、特定の傾向を「若者らしい」と言う根拠が見出せない。選考委員の好みの青春、若者らしさを評価しているに過ぎないのではないか。
・外界と向き合い自らの心を覗きこんでいる点を評価しているが、それがなぜポジティブに評価し得るのか。それだけで良いと言えた時代はもう過ぎているのではないか。
・受賞作の感情の淡さを「ゼリー状の輝き」と表現した点は的を射ている
・裏を返せばすべて嘘かも知れないという感覚が詠われているとする評があるが、その不確かさに焦点を当てているのがまさに受賞作ではないか。大方の選考委員は、ストレートに十代の感情の淡さが表れていると捉えてしまっている。
・受賞作は「キャラづくり」をしているという見方も可能である。選考委員で作者の今後を楽しみにしているような発言があるが、このキャラでそのまま行くのは難しいのではないか。
・そもそも選評のなかでで今後が楽しみというエールを送ってしまうこと自体、評として適当でない。更にこの発言の背景には、作者のプロフィールが不明であるにもかかわらず、作品で描かれた人物をストレートに作者像と重ねる読み方がある。現在の短歌では必ずしもそれが一致しないことを念頭に置くべき。

(記/久真八志)
 

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【2003年以降の穂村弘作品リスト】

本企画にて作成した2003年以降の穂村弘作品リストを公開します。

※本リストは有志が集めた情報をまとめたものであり、2003年以降の穂村弘作品の全てを網羅するものではありません。

※本リストの情報の間違いによって生じた損害・トラブル等の補償はいたしかねますのでご了承ください。

 

★エクセル版

下記リンクから閲覧、ダウンロード可能です(Googleドライブ利用)

[エクセル版リンク]

URL:https://drive.google.com/open?id=0BzxZ66iatJ96RVVEWGJDeEVlZmc

 

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【発表資料】

・久真八志 『手紙魔まみ』における穂村弘の文体の変容

下記リンクから閲覧、ダウンロード可能です(Slideshare利用)

[資料リンク]

 

・睦月都 穂村弘近作百首選

下記リンクから閲覧、ダウンロード可能です(Googleドライブ利用)

[資料リンク]

※本資料は穂村弘氏ご本人の許可をいただいて掲載しております。

 

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:イベント報告:

Kabamyレポート(第二十回)二〇一六年十月十六日(日)
 於あんさんぶる荻窪(第1会議室)

【参加者】高柳蕗子、久真八志、飯島章友、睦月都、河野瑶、吉川満、前田宏、佐々木遥、石狩良平、嶋田恵一、穂村弘、木村友 (購読会員)足田久夢 (ゲスト)本多真弓、松本宗久、相田奈緒、ユキノ進、國森春野、村井祥子、大村咲希、原田彩加、山城周
今回のKabamyは「研究発表会・穂村弘を追いかける!」と題し、レポーターが穂村弘についての発表を行いました。
なお本企画で作成した「2003年以降の穂村弘作品リスト」ならびに睦月都、久真八志の配布資料はKabamyブログにて掲載しております。左記のURLからアクセスしてください。
URL:http://kabamy.jugem.jp/?eid=23
※以下は発表内容の要約です。詳細は公開している配布資料をご覧ください。

 

【1】『手紙魔まみ』における穂村弘の文体の変容(久真八志)
[方法]
計量テキスト分析手法を用い、『手紙魔まみ』までの穂村弘作品の各品詞の出現頻度を算出し、比較した

 

[結果]
○『手紙魔まみ』以前の穂村作品の傾向
a.名詞偏重  名詞の出現頻度が高い。
b.形容詞、副詞、形容動詞の低頻度使用
c.格助詞「の」の高頻度使用
助詞のなかでは格助詞「の」の出現頻度が高い。これは名詞を多く用いることと関係する(「の」は主に体言につく)

○『手紙魔まみ』で起こった変化
d.品詞の偏りの解消 
名詞の出現頻度が減り、形容詞・副詞・形容動詞の出現頻度が増加した。
e.一部助詞の使用頻度増加
終助詞「ね」「わ」「の」の出現頻度が増加し、他のカテゴリーよりも高くなった。
g.助動詞の使用頻度増加
助動詞の出現頻度が増加し、他のカテゴリーよりも高くなった。特に「ます」「です」

 

[考察]
○『手紙魔まみ』以前の穂村作品
・名詞と格助詞「の」を多く用い、名詞の意味を限定する
・形容詞や副詞、形容動詞をあまり用いない
・論述の展開は妥当であり、論理的にも整合する文であるという印象を与えるように歌の体裁を整える
このような書き方は、不特定多数の人に自分が見聞きした物事を説明することを意図して描かれた文章(報告文書)に似ている。書き手の心情を表に出しにくい。(※参考1参照)

○『手紙魔まみ』作品の特徴その1
・名詞や格助詞「の」の減少により名詞の意味を限定する頻度が減り、また情報を過度に省略したり、前後の関係が不明なフレーズを並べることで、物事の起きている順序や因果関係がはっきりしなくなる
・形容詞、副詞、形容動詞の増加により語り手の判断や心情を知る手がかりが増える
このような書き方は、文脈を既に共有している相手に向けて、自分の心情を中心に話す文章(私信)に似ている。第三者から見れば、不正確で不十分な説明に見える

○『手紙魔まみ』作品の特徴その2
・助動詞「ます」「です」の多用
・終助詞「ね」「わ」「の」の多用
これらは主体が「若い女性」であることを想像させる効果を持つ。このとき想像されるのは、読者の若者観・女性観に基づくあるいはステロタイプな「若い女性」のイメージである。

 

[結論]
・『手紙魔まみ』収録作品は、それまでの穂村作品と比較して二点の特徴を持つ。
‘票圓吠弧を追い切らせない書き方
⊆磴そ性を想起させる終助詞、助動詞の多用
この特徴は、以下のような文体の変化といえる。
◎読者に若い女性を想像させ、それを基に不足している情報を補うよう促す。読者は各々の想像をもとに、主体の知識や心情を推定し、「まみ」という人物を理解できたように感じることを通して、作品に対する理解を進める。


〔参加者より〕
・短歌に使われる言葉の定量分析は昔から行われていますが、品詞レベルでの文体変容分析は初めて見たので新鮮でした。
・会でもすこし話が出ていましたが、形態素解析でなく語のもつ印象とか意味のレベルで分類できればまた別の何かが見えそうだと思いましたが、分析手法として難しすぎたり要素の選定から恣意が除きにくかったりと問題が多くてかなり困難ですね。

 

 

【2】穂村弘作品のテーマの変遷――近作評を中心として(睦月都)
 穂村弘氏は第一歌集『シンジケート』から第二歌集『ドライドライアイス』、「まみ」という少女から穂村弘に宛てた書簡集という設定の異色の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』と、単独名義では歌集を三冊、またその後二〇〇三年にはベスト歌集として『ラインマーカーズ』が出版されているが、それを最後に現在まで歌集はまとめられていない。そのため現状、『ラインマーカーズ』以後約一三年間の穂村作品を扱うには総合誌等を地道にあたるほかないが、今回はその道標となるべく、まずは発表媒体の情報を取りまとめ、これを評論等に広く利用できるような形で公開したい、ということを第一の目的として調査・発表を行った。

 調査にあたってはまず、この期間の作品について久真八志氏とともにTwitterで情報提供を呼びかけ、発表媒体やタイトル等の情報を募った。この結果、計八〇作品を超える情報が寄せられ、これらを随時精査の上でリストに一覧化した。また、寄せられた情報をもとに作品にあたり、計千首以上の歌群から特徴的な歌を百首選出した。なおこの資料はKabamyブログに掲載されており、こちらも参照されたい。

 

 当日の発表では先述の百首選をおよそ二、三年ごとに区切って整理し、各年代のテーマやモチーフ、文体の傾向について考察した。特に重点的に話したポイントとしては、二〇〇六年以降のノスタルジー傾向と、二〇一一年以後の震災や戦争、政治的な視点の導入である。

 

 二〇〇六年、母への挽歌として描かれた連作「火星探検」以降の穂村弘作品では、昭和の風景や家庭の記憶を、子どもの視点から子ども口調の文体で描くという試みが繰り返し行なわれている。さらに言えば、その景は純粋な昭和でなく、また主体もはっきりと子どもではない。実際には大人である作者の顔と、実際に作者の生きる現代との景とがときおりノイズのようにまじり、やや不気味で歪んだ世界が立ち上がっている。この時期、穂村弘は短歌という「私」の詩型を逆手に取って「子どもの私」を再規定し、何度も昭和の、母が生きていた子ども時代を生きなおそうとしているように思われる。しかし実際には四、五〇代で現代に生きている作者が「子ども」視点を仮構することが、SFのタイムパラドックスのように、何度過去に戻っても、景や主体のどこかに常に歪みが出てしまう事態となっているという印象を受けた。

 

二〇一一年以降、震災や軍隊、戦争といった社会的なテーマがあらわれる。特にここ数年の穂村弘作品は、初期の空想的な世界観から母の死をきっかけとするノスタルジー期を経て、現実の社会、現実の自分に少しずつコミットしているように見える。<なにひとつ変わっていない新世界 あなたにもチェルシーあげたい>、<ふりかけで育った子どもたちだけを集めて国を守る軍隊>などは二〇一一年以後に作られた歌だが、ポップな口語体という文体上の理由か、もしくはわれわれ読者の中にある穂村作品を読むコードがまだ空想世界から抜けきっていないという問題もあるだろうが、これらの歌にもどこか浮世離れした空気がまとう。穂村作品が今後モチーフと文体のバランスをどのように取っていくのか、ひとつ注目のポイントとなるだろう。


〔参加者より〕
・穂村さん自身もあまり把握していない短歌を多数収集して今後の穂村弘研究の礎石となるような資料を作成したことはすばらしいことで、大変な努力だと思います。
・「戦争」を歌った歌に関して、お話がありましたが、〈穂村弘の社会詠〉は、もっともっと話題になっていいテーマだと、個人的にここ数年感じています。
・歌集めにエネルギーをかなり消費し、それらの歌に対しての関心を絞り込んで踏み込むところまでいかなくて、いろいろな特徴を睦月さんなりに見つけて報告する、という段階にとどまった感がある。


(記/久真八志)