Kabamyレポート(第二十五回)二〇一七年八月二十日(日)
 於あんさんぶる荻窪(第1教室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、飯島章友、中成、山下一路、鈴木智子、木村友、本田葵
 
 今回のKabamyは「論点を探そう!評から読みとく斉藤斎藤「人の道、死ぬと町」(後半戦)」です。斉藤斎藤「人の道、死ぬと町」を引き続き取り上げます。


前半戦の総括のなかで、斉藤斎藤作品を読んでいてときに嫌悪や腹立ちを感じるという意見がありました。また山田消児「斉藤斎藤論(斉藤斎藤には打消し線)」の結びには『これからも皆の神経を楽しく逆撫でし続けてほしい』とも。斉藤斎藤作品の評を参照すると、このようにさまざまな読者の神経を「逆なで」しているケースが見られます。ただし「逆なで」することが直接ネガティブな評価へと繋がっているわけではないようです。斉藤斎藤作品の「読者の神経を逆なでする」性質は、作品の一つの特徴と考えられそうです。

そこで今回のKabamyでは、斉藤斎藤作品の「逆なで」を集中的に分析し、作品に寄与しているか否かを検討します。
※「逆なで」……今回はネガティブな感情を喚起する事と定義する

 

今回は「人の道、死ぬと町」のなかでも特に読者からの反響が大きい(よく取り上げられる)「証言、わたし」「予言、〈私〉」「NORMAL RADIATION BACKGROUND 3 福島」の三作品を集中的に取り上げます。

 

以下は二つのグループに分かれて進めました。
チームA:高柳、飯島、中、山下
チームB:久真、鈴木、木村、本田

 

〈進め方〉
対象作品に関して書かれた評論や座談会資料(評者や発言者がネガティブな感情を覚えたことを語っているもの)から、また参加者自身が対象作品を読んだ感想から、次の表を作成する。
(1)読者のネガティブな感情
(2)1の感情を喚起した作品の特徴
(3)2の特徴が1の感情を喚起した理由
(4)一連の過程が持つ効果(良い効果、悪い効果)

完成した対応表をもとに、この分析結果から該当作品をどのように「評価」するかを検討してグループとしての結論をつけていく。

以下、グループごとに成果発表。

 

●チームA
評価:問題提議として価値がある

 

理由:短歌表現として許容されている幾つかの固定観念を刺激し、不快感等を起こさせ、それぞれの「一線」を意識させる

結論までの経緯:既存の評論をベースにまとめていった。論者のなかで倫理的に間違っているという不快感、死者に成り代わっている事への拒否感を述べている。また短歌として散文的過ぎるのではないかという意見もあり短歌としての固定観念をも刺激しているようだ。それまで読者が考えていなかったことを考えさせる状況を作り出している。倫理観、私性や短歌表現として許容される固定観念を刺激することは、短歌の領域や表現の領域を考えさせることにつながり、評価できると結論付けた。

 

ディスカッション:
・作者というか歌集に向き合いたくないという感情を持ってしまう。社会性が強すぎるため。社会性から離れるために詩歌をしているところがあるので、作者と考え方がかけ離れていると感じる。
・短歌表現として許容される固定観念として倫理の問題が含まれるのはなぜか?→短歌という場では、死の扱いについても特有の許容範囲があると思われる。死者に成り代わって詠んだ歌の例は古典にも見いだせるのに、今回の歌は拒否感があるという意見は、それだけでは批判としては機能しない。別の理由があるのではないか。
・結論は、各読者が普段意識しない固定観念があり、その境界線を刺激されると言い換えられるかもしれない。→刺激されているのは境界線ではなく、矛盾点のようなものだと補足できるのではないか。あるテーマに関して厳密につきつめるとうまく答えられない、ダブルスタンダードを含んだ、曖昧な領域を誰しも持っているのでは。その曖昧さを突かれてしまうから嫌な感情を覚えるのではないか。
・斉藤斎藤作品は自分の考えを表明して読者に問いかけるような歌の他に、微妙な言葉遣いを駆使し主体をぼかして自分の考えは隠しつつ読者に問題を問うような歌も多い。このような歌は読者としても逃げる余地がなく、追いつめられてしまうのではないか。

 

●チームB
評価:読者に考えさせる効果はあるが、作者が前面に出ていると感じられるため、その効果が打ち消されてしまっている

 

理由:ユニークな引用手法、テーマ性などで様々な問題意識を読者に持たせる・考えさせる効果がある。しかしそのような問題に踏み込んだり、ユニークな手法をを使う作者性も強く感じられてしまうので、作者の意図や価値観が結局気になってしまう。よって効果が打ち消され、弱まってしまう。

 

結論までの経緯:こちらのチームは参加者の感想が多く集まったのでそれを中心にまとめた。覚えた感情としては「混乱した」「えらそうで嫌」「それって短歌でいいの?」「気持ち悪い」「切実さに圧倒させる」「ずるい」「不真面目な感じがする」「他人事感がある」など。このなかで中心的なものをまとめると、「情報量が多すぎて理解が追いつかないゆえの混乱」「誰の視点なのかよくわからない」「死の扱い方に問題がある気がする」などの理由によるものであった。それらの効果として「作者が前面に出過ぎと感じられてしまう」(ユニークな引用手法を用いること、さまざまなタブーに踏み込んでいること、などによる)ことと、「わからない点が多いので読解の余地を多く残し、読者に問題を考えさせる」というものがあるとした。ただ、読解の余地が多くある一方で読者が読みに迷ってしまうことがあるので、そこで作者が前面に出過ぎていると、つい作者の意図や価値観が気になってきてしまう。結局、作者は何がしたいのかという話題に展開しやすく、読者に考えさせる効果を打ち消してしまっているのではないか、と結論した。

 

ディスカッション:
・「わからない」とは何がわからないのか? 作品の内容やテーマはある程度明確ではないか → 読者がどのように読んでいいかわからないということである。普通であれば読みの幅が広いことは歓迎されやすいが、斉藤斎藤作品の読解の余地が大きいところが、むしろどう読んでいいか迷わせる。→ 迷わせるのは作品内の事実関係というより、作品が描く内容に対して読者がどういう態度を示すべきかという点ではないか。さまざまな問題意識に触れているため、読者が読みを示すなかで、自分がその問題に対してどう臨んでいるかまで表明しなければいけないような気にさせられる。 → 今までの短歌では読者に直接問いかけるような形式の歌もある(「あなたはどうなのか?」という止め方)が、その場合は作者が問いかけているという読みを示せば終わりだった。斉藤斎藤作品の場合、それができない。

 

〈会場意見〉
・問題に対して「お前はどうなのだ?」というような問いかけを含むような方法は、啓蒙主義に通ずるものがある。それがちょっと出ていて、あまり気に入らない。
・今回はネガティブな感情を表現した評論資料を参考にしたが、これらの論者は本当にこう思っていたのか気になる。本当はもっと面白かったのでは? でも作品が誰かのタブーに触れている、こういうやり方に反感を持つ人がいることを想定し彼らに配慮しているため、ネガティブな印象は受けたがそれはこれこれこういう良い評価につながるという書き方になってしまうように思った。
・言葉の軽さという指摘があったが、気軽に「死ね」と冗談めかしていう環境にいるので、あえて軽く書いているように感じる。そこにあまり問題を感じない。
・散文の付け足しのように短歌が書かれている作品は、短歌は散文に貢献するものなのかと不安になった。散文に対抗する短歌とは何かを考えさせられた。

 

(記/久真八志)
 

本企画にともない斉藤斎藤作品に関する評論、また斉藤斎藤自身の発表作品や評論の情報をお寄せいただきました。

以下にその情報をまとめたリストを公開します。(エクセルファイル。Googleドライブ使用)

 

↓クリックしてリンクが開きます

斉藤斎藤に関する資料リスト

 


 

Kabamyレポート(第二十四回)二〇一七年六月十八日(日)
 於あんさんぶる荻窪(第1教室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、藤島優実、吉川満、足田久夢、飯島章友、中成、山下一路、河野瑤、乗倉寿明、あかみ (ゲスト)ユキノ進、花笠海月、二三川練、神垣文明、牛尾今日子、伝右川伝右
 
 今回のKabamyは「論点を探そう!評から読みとく斉藤斎藤「人の道、死ぬと町」(前半戦)」です。2月に実施した関心のある歌集アンケート同率一位の斉藤斎藤「人の道、死ぬと町」を取り上げます。たたき台になる評を決めて、それを基に作品について何らかの結論を出していこうと思います。
またKabamy22で考案した長期戦システムを採用します。今回は前後半の、前半戦となります。

 

〈事前課題〉
あらかじめ選定した斉藤斎藤歌集または収録作品に関する評論を参加者に読んでもらいました。
[A]斉藤斎藤論(*斉藤斎藤に打ち消し線)  山田消児
「Es 24号 囀る」2012年11月

 

[B]短歌時評 第82回 「はじまりの対話」と斉藤斎藤  錦見映理子
「詩客」サイト「短歌時評」2012年12月21日
http://shiika.sakura.ne.jp/jihyo/jihyo_tanka/2012-12-21-12517.html

 

[C]一首鑑賞 くす玉から平和のハトが弧をえがくドームの骨の上の青空
都築直子  日々のクオリア 2013年9月13日
http://sunagoya.com/tanka/?p=10927

 

[D]他者と併存すること 花山周子
黒日傘5号 2015年9月28日

 

[E]地上5ミリの視点 大辻隆弘
青磁社ホームページ 短歌時評 2008年2月12日
http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_080212.html

 

〈当日〉
(1) イントロダクション
・各参加者に「主張に同意できるかはともかく、最も重要な論点を扱っている評論」を選んで挙げてもらう。
・人数調整し、取り扱いたい評論ごとにと4人グループを作る。今回はC以外の評論を1グループずつで担当することになった。

A:高柳蕗子、吉川満、足田久夢、乗倉寿明、
B:山下一路、二三川練、神垣文明、牛尾今日子
D:河野瑤、藤島優美、ユキノ進、伝右川伝右
E:中成、飯島章友、あかみ、花笠海月

 

(2) チーム作業 
目的:「歌集『人の道、死ぬと町』の特徴は〇〇である」という結論を出すこと。

・ピラミッドストラクチャー(PS)の作成
各グループで取り扱う評論のロジックを整理してもらう。
ピラミッドストラクチャーとは、文章の【主張】←【理由】←【根拠】←(根拠の根拠……)という構造に整理した図。
なお、ここでは根拠として妥当かどうかは一旦置いておく。
 


・反論の検討
作ったPSの理由と根拠の部分に反論を思いつく限り出す。 

・主張の採用可否を判断
PSを見ながら、反論にどうすれば応えられるかを検討。
反論に応える根拠が用意出来そう→主張を採用
根拠や主張を手直しすれば採用できそう→修正案を立案
・結論を一本化
各チームの結論(対象評論をたたき台にしてできた主張)をまとめる


(3)ラップアップ
各チームごとに発表 
最終的な結論を述べ、その経緯を簡単に説明。

 

A:山田によれば「斉藤斎藤の方法は、私性の極北にあり従来の感覚を逆なでする。必ずしも支持しないが、わかる」という立場で書かれている。斉藤斎藤の意図を説明しきれていないのではないか。
斉藤斎藤作品への違和感を起点にさまざまな検討をしているが、作品を否定はしておらず、評価もしている。ただし結論がはっきりしない部分が多い。山田が「私性」と呼ぶものが不明確で、自意識と言いかえたりしている。
唯一はっきり言っているのが「作者の歌と他人の歌を何の注釈もなしに混ぜたら混乱する」という部分(※)である。「他人の歌に自分の歌をまぜた」という重大で具体的な例に字数をさいていることから、それが「私性」の本質をおびやかす事例として山田はうけとめたと思われる。このような手法で生じる混乱には底なしの不確かさがあるともいえるか。
(※「予言、〈私〉」は発表時、連作に組み込まれている岡井隆の歌の出典表記がなかった。歌集では出典の情報が追加されている)

A

 

B:【斉藤斎藤の歌は、3・11以後に明らかになった現実を提示するための手法で作られている。】なお、“3・11以後”とは、現実の質的変化ではない。
 錦見は、従来のひとつの〈私〉を示す短歌に対して、斉藤斎藤作品は時間や視点の混在があり、複数の「今、ここ」(複数時間、複数の誰かの存在)を表しているとする。3・11以後の現実が変化しており、それは今までの短歌の方法では捉えられない一方で、斉藤斎藤の方法でならば捉えられるかもしれないと錦見は考えているようだ。しかしこの手法はそもそも3・11以後の現実を捉えるために作られたといえるのか、また3・11以後に現実が変化したといえるのかは検討の余地がある。今回、私たちはあくまで3・11以後に「明らかになった」現実を、「把握」ではなく「提示」する手法であるという言い方に留めた。

 

D:【他者の歌の言葉を連作にすることによって斉藤斎藤は当事者しか謡い得ないという短歌の限界を越えようとしている。】
 花山は他者の言葉を使うことで短歌の〈私性〉の限界を超えようとしている、としている。例えば当事者として詠うことはできない限界の問題。
ただ「〈私性〉の限界」と言う表現をしたとき、では〈私性〉とは何かといったおなじみの議論に戻ってしまう。花山の評論は短いためその定義は書かれていない。
私たちは、花山の結論をベースとして、〈私性〉という言葉は曖昧なため排し、より限定的に書き直した。補足:なりかわりで詠うことの倫理を、他者の言葉を使うことで担保しているのではないか。複数の当事者の言葉を扱うために連作である必然性があった、など。

 

E:【斉藤斎藤の視点も吉川のそれと同じく「地上5ミリ」からのものではある。】大辻の評論は論理的には正しいが、結局、斉藤斎藤の目指しているものを捉えきれなくなってしまっているのではないか。
 大辻によれば、斉藤斎藤は吉川宏志による妻を詠んだ作品を「地上5ミリの視点」と分析しつつ妻をやや見下していると指摘している(斉藤斎藤の評論「妻はさびしい」)が、斉藤斎藤のなりかわりのフィクション(「今だから、宅間守」)も「地上5ミリ」である。大辻の言う通り、斉藤斎藤作品も現実から離れた点があるとはいえるが、吉川と斉藤斎藤ではまず目指していることが異なるのではないか。それをどちらも「言葉を発することは本質的に『われ』を現実から引き離す」といっしょくたにまとめてしまうのは、分析の解像度が低いのでは。またそもそも、歌に詠むことと、なりかわり、フィクションを同一視してよいかにも疑問の声があった。

 

〈参加者の声〉
・一つの評論に対してグループで話し合いながら図式化して論じるというやり方は初めてで新鮮でした。評論を初めに読んでいたときとは違った印象を受けたり穴が見えたりと、気づけなかったところに気づくことができてよかったです。また、歌集ではなく歌集の評論を読むことで、歌集に対する理解も深まったように感じました。大変面白かったです。
・考え方やまとめ方を最初に示すのは議論を活発にさせるための手法だと思いますが、短歌についてはみな言いたいことを持って集まっているので、そういった手法なくてフリートークでもよかったのではないでしょうか。
・「評論の言葉尻に振り回されて言いたいことがいろいろ出てきてしまう」という現象のほうがはるかに強くて、本質的なことに迫りきれなかったように思えた。その現象をうまく回避できる方法があれば、みんな余計なことを考えずに済むのだが、と思った。

(記/久真八志)
 

 

 

Kabamyレポート(第二十二回)二〇一七年四月十六日(日)
 於あんさんぶる荻窪(第1教室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、藤島優美、吉川満、白糸雅樹、木村友 


 今回のKabamyは「天使・噴水・飛行船 杉崎恒夫と井辻朱美比べ読み!」です。杉崎恒夫さんと井辻朱美さんの作品を読み比べて、二人の作風の違いを考えてみようという企画です。

 

(1)イントロダクション 
作者名を隠して井辻、杉崎、その他の作者の短歌を見せ、作者名を当てはめるクイズをしました。


・天使
佐藤弓生(A)これもまた天使 くまなくひらかれてこころをもたぬ牛乳パック
井辻朱美(B)甘藍を抱ける天使 生きるとは夢でなければ夢になるべし
杉崎恒夫(C)クリオネは氷のいろに透きとおり天使もどきに疲れてしまう


・噴水
井辻朱美(A)たてがみをひらけ椰子の木(アルハンブラにたったひとつの噴水のように)
杉崎恒夫(B)夏休みもおわりとなれり噴水は配水管のなかの休日
東直子(C)噴水のような約束十時ごろ雲公園にわらわらと人


・飛行船
杉崎恒夫(A)飛行船そなたを旅へかりたてるラグビーボールほどのたましい
光森裕樹(B)ビル背面をゆきてふたたび出て来ざるツェッペリン忌の飛行船かな
井辻朱美(C)銀の尻の象のごとくに浮かびいる飛行船など 秋の教室

 

正解率は半分ぐらい。意外に判定は難しいようです。ただし、同じキーワードを使った歌でもなんとなく扱い方、キーワードの醸し出す雰囲気が異なることがわかりました。

 

 

(2)進行の説明
・「作風」の一要素として、あるキーワードをどのように扱うか、を今回は考える
・「天使」「噴水」「飛行船」は杉崎さんと井辻さんが共通で他の作者よりも高い頻度で使うキーワードであることがわかった。
【闇鍋調べ】
「天使」率 全体:0.17%   杉崎:1.72%  井辻:1.03% 
「噴水」率 全体:0.13%   杉崎:1.41%  井辻:1.45%
「飛行船」率 全体:0.05%   杉崎:0.94%  井辻:0.72%
※母数……全体:63423首 杉崎:639首 井辻:1170首

 

(3)キーワードマップを作ろう
・3つのチームを作り、各キーワードを割り当てる
「天使」チーム:吉川、木村
「噴水」チーム:高柳、藤島
「飛行船」チーム:白糸、久真


・各チームは、割り当てたキーワードから連想する物事を自由にたくさん挙げる
大き目の付箋に書いて、模造紙に次々貼っていきます。インターネットなどで調べてもOK。連想された単語の一例は以下の通り。
天使……翼、性別不承、ラッパ、審判、救い、西洋
噴水……生命力、形をもつ、技術、公園、涼しい、石像
飛行船……冒険、爆発、広告、大きい、空、レトロ


・印象(雰囲気、感じ)の近いものをグループ化する。グループの目安は5ケ前後。
付箋をグループごとに貼り直してまとめていきます。
・各グループの「トーン」を一言二言で表して、分類する。
グループに見出しをつける作業です。各キーワードは以下のトーンに分類されました。


天使……光と愛情(光のような明るい愛情)、嬰児性と不老不死(永遠にこども)、翼、音楽、天国、宗教

K23-3


噴水……生きてるみたい、生命力、おどろき、西洋・反自然、娯楽(楽園)、人工

K23-1
飛行船……楽しい、あやうい、目立つ、大きい、ふわり、レトロ

K23-2

 

(4)作品をあてはめてみよう
各チームに割り当てキーワードを使った杉崎・井辻両作者の作品を書いた短冊を配布(各作者8枚程度)。歌の短冊を、作品がさきほど作ったトーングループのうち近いものに置いていき、テープで貼る。

 

(5)作者の特徴をずばり言おう
これまでの結果をもとに、「井辻作品の【キーワード】のトーンは〇〇、杉崎作品の【キーワード】のトーンは〇〇。なお二人とも〇〇なトーンからは遠い」という内容をまとめる。それぞれ代表的な一首をそえる。以下は代表的な一首ととともに、近い分類がされた歌を掲載。

 

・天使
杉崎恒夫作品のトーンは「翼を持て余している」
例歌:ぼろぼろの大き翼をもつ天使骨董屋のいうままに立ちおり
天使にはなり得なかったひと夏のかいがら骨の羽の痕跡
鶏小舎に飼われていたのはマルケスのぼろぼろ天使二月ふる雨
井辻朱美作品のトーンは「雌雄なき嬰児性」
例歌:アラビアの月の弧をなす眉というを思えり天使に雌雄なければ
純白のシクラメン立つ冬の隅 天使が鼻をかみすてたあと
こな雪のつつむ足もと太虚よりきりなく降る天使の喃語
どちらの作者とも遠いトーンは「愛情」

 

・噴水
杉崎恒夫作品のトーンは「身体をもつ生き物感」
例歌:噴水のシンクロナイズドスイミングたくさんの脚の立つ時のある
捩れつつ立ち直りつつ噴水を支えいるのは水の軟骨
噴水の立ち上がりざまに見えているあれは噴水のくるぶしです
井辻朱美作品のトーンは「勇ましいパワー」
ひとりではささえきれない碧空のため世界に無数の噴水あがる
数条の不滅のたましい噴水のたちあがるところ楽園となる
根源のなつかしさから立ち上がる巨神兵いな噴水の列
どちらの作者とも遠いトーンは「突然性/観光」

 

・飛行船
杉崎恒夫作品のトーンは「冒険への憧れと不安」
例歌:飛行船そなたを旅へかりたてるラグビーボールほどのたましい
こんなにも明るい秋の飛行船ひとつぶの死が遠ざかりゆく
飛行船が浮いている街 地下道をでてから方位狂いはじめる
井辻朱美作品のトーンは「壮大なもののはるけさ」
例歌:万象のそよぐ地上よりはるかにて飛行船とう無秩序の澄む
愛というこの世の温度ぬぐわれて天青【てんせい】の涯【はて】をゆく飛行船
かずかずのはるかさに生きるものたちよ 椰子の木 雨 そして飛行船
どちらの作者とも遠いトーンは「目立つ」

 

(6)発表
チームごとに結果を発表し、解説する。作者ごとに、キーワードとそのトーンの関係をより抽象化して「作者の言葉の扱い方」をまとめる。ここではまとめ時に出てきた意見を掲載します。
・杉崎さんの「天使」は人間に近く、井辻さんの「天使」は人間とは程遠い存在のように感じる。
・杉崎さんの「噴水」に感じる身体は、足に関連する単語も多く、二足歩行しそう。これも人間に近い。井辻さんの「噴水」に感じるパワーは、世界規模の楽園を支えるような、非常に大きなパワー。
・杉崎さんの「飛行船」は不安というネガティブなイメージは薄いのではないか。死がにおわされてはいるが、死はむしろ身体かの解放程度のイメージで、ポジティブでもネガティブでもなくニュートラルな雰囲気がある。

 

・以上より、杉崎さんと井辻さんの作風の違いを次のように結論付けた。
杉崎作品では、人間的な身体への意識が強く、かつその身体をなくした別の存在(たましいなど。人間ではないもの)が詠われる。井辻作品でも、人間を超越したものが詠われる。このとき、井辻作品では人間と人間ではないものとの間に階層があり、人間には到達できないその絶対的な断絶、距離感が作品の基底にある。一方で、杉崎作品での人間と人間でないもののあいだには階層がなく、地続きであり、容易に転換し得るように感じられる。両者を親和的に、等価的に描くのが杉崎作品の特徴である。


(記/久真八志)
 

Kabamyレポート(第二十二回)二〇一七年二月十二日(日)
 於あんさんぶる荻窪(第1教室)

【参加者】飯島章友、高柳蕗子、久真八志、杉田菜子、藤島優美 
(ゲスト)中成

 

今回のKabamyは「歌集を読む」形式の勉強会(※)の新しいやり方を開発するというテーマで行いました。
※歌集を一冊取り上げ、その考察を行う形式。一人以上のリポーターによる基調発表、パネルディスカッション、参加者による数首選などいくつかバリエーションがある。歌集の批評会なども含む。

 

[1]オープニング
・参加者の自己紹介 

 

[2]これまでの「歌集を読む」勉強会の問題を探ろう
・事前に参加者および非参加ながら協力いただいた方へのアンケートを行っており、その回答をもう一度検討する。
アンケートの設問は「歌集を読む勉強会に出て期待外れだった経験はなにか?」
・回答内容の要点をホワイトボードに書きつつ、「回答者が勉強会に最も期待していたことは何か」を深堀りする。
(主な回答例)
・「忌憚なく厳しいご意見を」と司会者が言うが、「忌憚なく言えない」という根本問題を改善する工夫をせず口先だけで「忌憚なく」と言う程度の問題意識である。また忌憚なく言うのが「厳しいご意見」では「ほめるかけなすか」という次元のジレンマを克服できない。
・リポーターと他の参加者の質疑応答があったが、互いに重視しているポイントが異なり、論点がずれたまま意見が対立する状況が生まれ、場の空気が悪くなってしまった。
・規定のリポート発表時間をオーバーして長引いてしまう。そのあとのディスカッションの時間がなくなる。また時間を守れない発表者はたいていの場合、自分の言いたいことが定まっていない。だから自分の発見したいくつかのことの、ほとんど全て言及しようという構えで、結果的に論点が散漫になってしまう。
・作者の立ち位置とか、思想が問われる場面があったのに、沖縄から来られた年長者(福島の時も)なので、突っ込めない。現場性とか、作者の切実さと、作品の成立とがごちゃ混ぜのまま話される。作品の読み方が問われないと面白くないのだが、当人と対面してだと、かなり際どい話になる。
・作者が仲良しでその友人をただ持ち上げているときは聞いていても新しい発見がなくつまらないと感じる。
・複数のパネリストの意見がけっこう食い違っていたが、それぞれ「私はこう思います」で終わってしまった。司会が議論を促したが、うまく発展しなかた。

 

[3]「今まで勉強会でできていなかったこと」は何か?
・「期待外れだったこと」は「今までの勉強会でできていなかったこと、つまり期待されていたが提供できていなかった価値」である。
・「今まで勉強会でできていなかったこと」のうち、似た意見を集約する
・全員で、特に解決すべき重要な問題を合議で決定する。今回は3つの問題を設定した。
問題A「歌集の新しい見方を成果として提示できない」
問題B「作家(歌人)を論じてしまう」
問題C「相容れない立場の人と話ができない」

 

 

[4]「今まで勉強会でできていなかったこと」を解決するアイデアをたくさん出そう
・2人ずつのチームに分かれ、[3]で解決すべきと決めた「今まで勉強会でできなかったこと」を割り当てる
A解決チーム 飯島、中
B解決チーム 久真、杉田
C解決チーム 高柳、藤島
・各チームはその解決策のアイデアを出す。まずはとにかくたくさんアイデアを出すことを目指す。目標は20個。
※解決策は勉強会のテーマの設定条件や進行のルールなど、イベントを進行させる枠組み(フォーマット)であることとする。個人の力量に依存しないで済むことを念頭に置く。
・各チームは思いついたアイデアを大き目の付箋に書きとめ、模造紙に貼るなどして発想を広げていく

 

[5]もっとも効果的な解決策を考えよう
・各チームは[4]で出た解決策のうち、もっとも効果的なアイデアはどれかを議論し、最終的に提案する一案を絞る。その案に沿った企画書を作る
 企画書の形式:「歌集を読む」形式の勉強会のフォーマット・タイトル・コンセプトを書く

 

[6]コンペ【プレゼン&質疑応答】
・各チームの企画書をホワイトボードに貼り出し、『これからの「歌集を読む」勉強会はこれ!』というテーマの発表を行う。持ち時間は3分。
・プレゼン後、参加者全員で講評。

 

Aチーム
 タイトル:少数精鋭による長期戦
 コンセプト:歌集の新しい見方を成果として提示できない、を解決する
 フォーマット:個人個人が辞書、ネット、書評を活用し予習してくる。少人数(なるべく部外者を含む)のグループ分けをし、発表し合う。勉強会を終えてから時間をおき、もう一回同じテーマ(歌集の新しい見方)で勉強会を行う。
 ねらい:まず既にある歌集評を集め、インプットする。少人数にするのは互いに顔が見える距離を維持し、気軽にしかし集中を維持しながら議論の質を高める効果を狙う。なるべく短歌以外の造詣のある参加者を加えることで多角的な意見を取り入れる。短時間では有効な意見が出ないこともあるので、一度勉強会をしたあと、ある程度の期間を置いてもう一度勉強会を行う。

 

Bチーム
 タイトル:凸凹コンビで読もう!
 コンセプト:作家(歌人)を論じてしまう、を解決する
 フォーマット:リポーターは二人の作者の歌集を比較する。二人の作者は属性(出身地、生年、職業、性別等)に共通でない点があること。二つの歌集はモチーフ・修辞・文体などで似ている要素があること。発表者は属性の違いに関する何らかのデータ(統計、史実)を出すこと。
 ねらい:作者個人の事情ではなく、環境というもう少し拡げた枠組みで作品の背景を捉える。そのために二人の何らかの属性の異なる作者の歌集を選び、その属性にフォーカスして論じる。客観性のある資料を用意することで焦点を明確に、かつ共有しやすくする。歌集はまったくかけ離れたものではなく一見似ていると感じられるものを選定する。

 

Cチーム
 タイトル:この指とまる??
 コンセプト:相容れない立場の人と話ができない、を解決する
 フォーマット:読む人の立場で見解が異なりそうな歌集を取り扱う場合に適用。作者自身に「作者がこだわって発信したいこと」を先行して調査する。調査をもとに読者アンケートを実施する。アンケートでは回答者情報の他、作者の見解や立場に対して賛同・中庸・反対・無関心など共鳴の度合いを訊きつつ、好きな歌を選歌してもらう(例えば二〇首など)。パネリストはこのアンケート結果(共鳴の度合いごとに現われる選歌傾向の違い)を考察の対象にする。傾向に違いがあるならば背景は何か、まんべんなく選ばれる歌があるならばどこに良さがあるか。
 ねらい:歌の技法だけに焦点をあてると、むしろ作者のこだわりや発信したいことを軽視してしまう恐れがある。そこで共通の基盤を得る、客観性をもたせる、作者の意図の尊重の三点を重視したい。そのためまず作者の見解を明確にする。次にあえて作者を含む関係者の立場の違いと選歌傾向を調べて客観性のあるデータに変換することで、参加者間の分断があることを共通認識として得られる。パネリストはその状況を考察することで、各人の立場を尊重しつつ考察が可能となる。

 

【参加者の感想】
・面白かったこととしては、自分の経験について発言し、皆で話し合ったことで、勉強会では新しい見方を見出すといった、今後の目的意識などを確認できたり、実際に勉強会の新しい方法を発想できたと思えることです。
・人が集まって意見交換をする場を有意義にするためには、共通の地盤から出発できるよう「場」を設計する工夫が必要だとわかった。
・勉強会の内容そのものについて話し合うことで、計画も立てやすくなって良かったのではと思います。また「こういうことがあって困った」話が「あるあるネタ」的に共有されていくのが面白かったです。

 

(記/久真八志)
 

Kabamyレポート(第二十一回)二〇一六年十二月十一日(日)
於あんさんぶる荻窪(第1教室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、飯島章友、河野瑶、山下一路、沢茱萸(ゲスト)中崎成、温井ねむ
今回のKabamyは「歌集の副読本ビブリオバトル!」と題し、歌集の副読本を紹介し合いました。また後半には本年度短歌研究新人賞「いつも明るい」(武田穂佳)の選考委員選評を検討しました。

 

 

◆歌集の副読本ビブリオバトル!
【進め方】
1.発表参加者が読んで面白いと思った本(歌集の副読本)を持ってくる
2.順番に一人5分間で本を紹介する
3.それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを行う
4.全ての発表が終了した後に「どの副読本が単体で一番読みたくなったか?」および「どの副読本と歌集をセットで読みたくなったか」を基準とした投票(一人五点持ち。自由に配分)を参加者全員で行い、最多票を集めたものをおのおの『チャンプ本』とする

 

【発表】
◎温井ねむ
副読本「べっちんとまんだら」松本次郎
歌 集「ビットとデシベル」フラワーしげる
 副読本は杉並区の河川敷でゾンビ駆除を行うべっちんとまんだらという少女を描いた漫画だが、ストーリーにはほとんど脈絡がない。作中の描写は彼女の妄想ではないかと思われる箇所もあり、またべっちんは記憶の欠落を抱えている。自分自身に頼るところがないまま、べっちんの強い感情だけが作品を通貫している。ここでは自分自身が感情の穴となっている。
「ビットとデシベル」の作中主体は矛盾するアイデンティティによって分割され、それらが衝突し合うような全体を持たない存在である(久真、Kabamy14) 自分自身が何者かははっきりしないが、強い感情は確かに存在し、大きなエネルギーとして自分のなかに渦巻いている。

 

◎沢茱萸
副読本「性悪猫」やまだ紫
歌 集「燦」河野裕子
 『性悪猫』の中に収められた「天空」という二ページの作品を紹介し、漫画で表現された「短歌的視点」について論じた。作品冒頭に登場する猫(作中主体)の視点が、コマを進めるごとに猫から離れて最後は作者の意識の世界へと転じ、読者も共に「そこ」に連れて行かれるのである。このような体験が、非常に短歌的であると考察した。
 河野裕子の連作「菜の花」の中に「しんきらりと鬼は見たりし菜の花の間(あわい)に蒼きにんげんの耳」という一首がある。やまだ紫は『性悪猫』の次作のタイトルを『しんきらり』とし、作品冒頭で「菜の花」の連作九首すべてを引用している。このことから、当時やまだが河野裕子の短歌に少なからず影響を受けていたことは明らかである。
 つげ義春はやまだ作品について「ストイックすぎて読後のカタルシスがない」と評しているが、「菜の花」が収められた河野裕子自選歌集『燦』を読んで、こちらもまたストイックさを感じずにはいられないのである。

 

◎久真八志
副読本「草食系男子の恋愛学」森岡正博
歌 集「それはとても速くて永い」法橋ひらく
「草食系男子の恋愛学」では、劣等感を抱えているせいで恋愛に対する苦手意識がある男性を草食系男子とし、彼らが自分の弱いところとどう向き合うべきかを説く。男性には自分の弱いところを隠すために身につける鎧があるという。ちなみに発表者は自分のなかの怒りを隠したくて感情を出すのを苦手にしていたため、『電線で混みあっている青空のどこかに俺の怒りの火星【アレス】』という歌集収録された一首に共感を持っている。
歌集の主体は性欲への嫌悪を詠ってもいる。それが行き過ぎて、人を強く愛したいという欲求すら抑えるべき対象になってしまっているのではないかと感じた。人に愛情をぶつけることの激しさを恐れて、それを隠すための鎧として優しさを身につけているように思える。自らの優しさに対する屈託はそこからきているのではないか。

 

◎飯島章友
副読本「川柳神髄」尾藤三柳
歌 集「一握の砂」石川啄木
明治43年に刊行された『一握の砂』には一般的なイメージに反し〈変な歌〉も散見される。この啄木の変な歌は「へなぶり」という明治狂歌の影響を受けていた可能性が高い。狂歌とは五・七・五・七・七で構成される諧謔形式の短歌。〈啄木のへなぶり調〉とはたまに耳にするが、「へなぶり」がどんなものなのかを記した書物は殆どない。ここに紹介する『川柳神髄』は、先日亡くなった川柳家・尾藤三柳氏の評論集。本書は「へなぶり」についても一テーマとして論じている。本書によると「へなぶり」は明治38年2月24日、読売新聞紙上に同紙の川柳欄選者だった朴念仁が「へなぶり」と題する狂歌二首を発表したことに始まり、その後読者からの投稿が寄せられてたちまち人気欄になったという。狂歌・川柳が啄木に影響を与えていたかもしれないと思って読むと実に興味深い。

 

◎河野瑤
副読本「整形前夜」穂村弘
歌 集「羽虫群」虫武一俊
 穂村弘はなぜ痛いおじさんにならないのか。それは驚異をベースにした年齢不詳の若さによるのではないか。穂村は副読本で「驚異こそが詩の源泉である」と断定し、若者は驚異と親和性が高いと述べている。
しかし一方で近年の若者については言葉が共感寄りにシフトしている可能性を述べ、それによって世界が更新されず、より大きな世界の滅びにつながることを危惧する。
虫武の歌はニートや就職面接が題材として取り上げられ、それらへの感慨が詠われていると捉えられがちである。しかし世界への違和感をベースにした驚異の歌も散見される。今の若者は以前よりもこの環境の中で驚異を表現しているのかもしれない、それを知るためにいい歌集であろう。

 

【結果】
副読本のみ:沢茱萸の紹介した「性悪猫」(やまだ紫)がチャンプ本となった。
 【会場意見】短歌と絵の関係性についてインスピレーションを得られそう。
副読本+歌集:飯島章友の紹介した「川柳神髄」(尾藤三柳)+「一握の砂」(石川啄木)がチャンプ本となった。
 【会場意見】これまで石川啄木にはあまり興味が持てなかったが、「へなぶり」という全く知らない見方を与えてくれそう。

 

 

◆短歌研究新人賞「いつも明るい」(武田佳穂)選評の検討
進め方:該当作品の選考委員(穂村弘、加藤治郎、栗木京子、米川千嘉子)の選評や座談会の講評を読み、最も納得できる/納得できない評をしている選考委員をひとりずつ挙げる。
以下、会場意見を抜粋。


・作者を高校生ぐらいの若い年代に想定し、その作歌姿勢に踏み込んで、若者らしいとポジティブに評価してしまっている。想像される人物像と作者が全く異なる年代性別だったとしたら通じないやり方ではないか。それを避けて作品にフォーカスしている委員もいる。
・ほとんどの選考委員が青春にうっとりし過ぎではないか。今の十代の現実が表れていると評価する発言もあるが、年齢がかなり上である委員が、なぜそれを十代の現実だと言いえるのか。自分が体験してきた青春のきらめきを投影して、その良さにうっとりしてしまっているだけではないか。十代の現実は多様であるのが当たり前なのに、特定の傾向を「若者らしい」と言う根拠が見出せない。選考委員の好みの青春、若者らしさを評価しているに過ぎないのではないか。
・外界と向き合い自らの心を覗きこんでいる点を評価しているが、それがなぜポジティブに評価し得るのか。それだけで良いと言えた時代はもう過ぎているのではないか。
・受賞作の感情の淡さを「ゼリー状の輝き」と表現した点は的を射ている
・裏を返せばすべて嘘かも知れないという感覚が詠われているとする評があるが、その不確かさに焦点を当てているのがまさに受賞作ではないか。大方の選考委員は、ストレートに十代の感情の淡さが表れていると捉えてしまっている。
・受賞作は「キャラづくり」をしているという見方も可能である。選考委員で作者の今後を楽しみにしているような発言があるが、このキャラでそのまま行くのは難しいのではないか。
・そもそも選評のなかでで今後が楽しみというエールを送ってしまうこと自体、評として適当でない。更にこの発言の背景には、作者のプロフィールが不明であるにもかかわらず、作品で描かれた人物をストレートに作者像と重ねる読み方がある。現在の短歌では必ずしもそれが一致しないことを念頭に置くべき。

(記/久真八志)