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Kabamyレポート(第三十二回)二〇一八年十二月十五日(土)
 於かたらいの道・市民スペース(第2会議室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、飯島章友、屋上エデン、高村七子、吉川満、TOMO、鳩、田中エリス(ゲスト)

 

今回のテーマは「ふる歌(そでにする歌)」です。前半では題詠「ふる歌」で歌会を行い、後半では「ふる歌を作るうえで大変だったこと」というテーマで座談会を行いました。

 

〈前半〉歌会
持ち点自由で投票を行いました。


磨墨音(まぼくおん)空にみなぎる今ここでわかれよう青い他人になろう 高柳蕗子
3点。潔さ、清々しさが感じられる。墨を擦る音(磨墨音)で背筋が伸びる感じがするし、墨の色や空とのつながりで「青」のイメージがさわやかになっている。
(作者)赤の他人に対しての青い他人。すべてリセットする青=青空のイメージを利用した。「ここからは関係ない」という感じを意図している。

 

生理的に吐き気催す境まで吾を追ひ詰めし事を知らずや 吉川満
0点。じとっとした感情がにじんでいる。ふる歌という題でなければ、これが「ふる」状況を詠んでいるとは気づきにくい。相手側の感情が分からない点は面白い。
(作者)若山牧水の作風を参考にした。一方的に相手に責任を押し付ける、感情をぶつけるようなやり方にした。

 

君に全部決めてもらってた恋愛の最後は自分で決めた さよなら TOMO
1点。二人の関係性がきちんとわかる内容で、題にきちんと答えていた。一字空けに決意が表現されておりよい。説明に終始してしまった感もある。
(作者)主体があまり身勝手な印象にならないように、受け身から能動的な態度に変わる様を描いた。もっと具体的なエピソードで表現できればよかったかもしれない。

 

照準を遠く合わせばすがる眼の君は追ひたり蝶の残像 田中エリス
0点。「照準」が何を意味しているのか。望遠鏡か、単に注目していることを指しているのかがわかりにくい。また照準を合わせているのは君なのか主体なのか。蝶の残像は君の未練を表しているのだろう。
(作者)「照準を遠く合わせば」は、自分が遠くに目を向けており、君を見ていないことを書いている。蝶の残像は、君が思いを寄せている私の美しい姿である。

 

ほんとうは全然興味なんて無いあんたの妻にもバター犬にも 鳩
2点。不倫の状況を想像する。啖呵を切った感じが面白い。主体と「あんた」との関係性がよく見える。登場人物は多いがうまく収まっている。
(作者)不倫ではなく、言い寄られたところをすっぱり断る状況を想定して詠んだ。

 

あなたとは恐竜展に行きません ひとつの恋が絶滅した日 屋上エデン
4点。わかりやすく、笑いもある。またかわいらしい。絶滅はやりすぎかもしれない。例えば恐竜展に行こうなどとするやり方もあったのでは。
(作者)しめっぽくならないように、事実を並べるような書き方にしてみた。恐竜を出すことでファンタジーな雰囲気も狙った。下句をもう少し進化させられるという意見があったので、試してみたい。

 

婚約の破棄を告げようきっちりと全身タイツ姿になって 飯島章友
4点。相手の予想を上回ることで逆に謝罪も受け入れやすくなる、妙な決意の強さを感じさせる。離婚の重さとやっていることのギャップが面白い。
(作者)やさしさの歌として作った。婚約の破棄に際してどうすれば相手を傷つけないかを考えてみた。

 

眠る妻にわかれようかと何度か言う青い火のようにひらく妻の眼 久真八志
2点。工夫なく言い述べたような下句の字余りがねばっこく、情景と調和している。夫の内側にある恐怖を投影している。
(作者)身勝手な主人公がいて、それを見ている目線によって身勝手さを指摘されるところまで書きオチにしようとした。「やすらかに眠る妻」を見ている構図の類想歌が多いので、不穏な感じにしてみた。

 

自分から告げた別れを美しいものにするため聴くオフコース 高村七子
2点。思い出を美化する身勝手さがあり面白い。オフコースのチョイスで美しさの方向性もわかるし、共感もできる。
(作者)曲は「サヨナラ」のつもりだったが、他の参加者から出た「秋の気配」でもよさそう。主体の身勝手さを出したかった。こういう人がいるなと読者に感じてもらえるとよい。

 


〈後半〉座談会


・ふる歌のパターンとしては、古典的・ベタな別れの型を使うもの、加害の感情を高めた詠いぶりをするもの、ずるずると冷めた感情を詠ってリアリティを出していくもの、他の要素でネガティブさを中和して取り合わせの面白さを狙うものなどがあった。
・「ふる」は主体の身勝手さを感じさせ、暗い気持ちでもあるので読者にネガティブな印象を与えやすい。それを滑稽味やさわやかさで中和しようとしている歌が多かった。
・「自分に好意を持っている相手に別れを告げている、別れる態度を見せる」という状況を正しく伝えるのは難しい。状況説明に字数を割くことに終始してしまいがち。
・今回提出された歌のうち二首で「青」を使ったものがあった。事前に配った参考資料も含め「ふる」歌は青が多くなる傾向があるかもしれない。
熱っぽい「赤」に対して、冷めた感じは「青」の方が表現しやすいのではないか。また、涙などとのイメージもつながるからではないか。
・「ふる」形態はもっといろいろあるはず。実際にふる時は、例えば連絡をあまり取らなくなり自然消滅的に別れるなど、熱が冷めている場合もある。最近ではSNSでブロックすることもあるだろう。ただそのようなケースを想定したとき、主体の感情の高まりがあまりないので、短歌にしにくいのではないか。

 


〈参加者より〉
・「ふる」ということに対して自分も含めてイメージが貧困だったと思う。
「ふる」シチュエーションとその前後のいきさつって、すごくたくさんあり得る、と、あとからいろいろ思い浮かんだ。「ふる歌」という題に対して、9人が思い浮かべた「ふる」はごく狭い範囲のものだったと思う。
「たくさんあり得る」の一例をあげるなら、「ふる」のは踏まねばならない別れのステップとも言えるケースがある。両方で別れたくなっているとき、いかに相手に「ふる」役目をおしつけるか、ババ抜きの終わりごろのババを相手に引かせる駆け引きさながら、心の損得を一円単位まで割り勘にする攻防、みたいなものは歌のだいごみになり得る。こういうふうに、もっと「ふる」にはいろいろあり得るのにイメージが貧困だった、ということは、歌の題材としての「ふる」がこれから成長するのを楽しみにできるということだ。
・別れようと思う側はそもそも関係への熱量が低くなっていることが多く、感情の高ぶりみたいな短歌得意の方向性が難しいのではという意見があった。でもそういう低い熱量の時の、特有の感情を詠うこともできそうだ、という話になり生産的でした。
        
(記/久真八志)
 

Kabamyレポート(第三十一回)二〇一八年九月九日(日)
 於かたらいの道・市民スペース(第2会議室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、飯島章友、沢茱萸、山下一路、屋上エデン、HARUKA、高村七子、吉川満、和里田幸男(購読会員)

 

今回のテーマは「美味しそうな歌」つまり「美味しそうだと読者に感じさせる歌」です。前半では題詠「美味しそうな歌」で歌会を行い、後半では「美味しそうな歌を作るうえで大変だったこと」というテーマで座談会を行いました。

 

〈前半〉歌会
「美味しそうに感じたか」と「歌として良いか」それぞれ別に持ち点自由で投票を行いました。

 

いるはずのないきみいなかったはずのきみぷるんぷるん水のお餅 沢茱萸
美味しそう2点/歌として7点
水まんじゅうを思わせる「水のお餅」の柔らかさや透明感、揺れる様子が、君の存在の不確かさとうまくリンクしている。一方でぼかした言い方になっていることもあり、美味しそうには感じなかった。

 

生活の真んなかに向け湯を注ぐモッチッチアチッチモッチッチ 山下一路
美味しそう0点/歌として3点:
生活の中心に湯を注いで充実感を取り戻そうとしているほど生活が乾いている主体を思わせる。むなしさを強く感じさせ、CMのコピーも楽し気なフレーズがかえって無味乾燥さを際立てる。歌としてはよくできているが、全然美味しそうではない。

 

うまそうなトロがトロリと揺れているこの満足に限りもあらず 吉川満
美味しそう1点/歌として0点
大げさな感嘆の表現が主体の個性を感じさせて面白くもある。トロがトロリはダジャレっぽくなってしまっている。

 

口中にブーケトスするジャスミン茶 細胞たちを潤ませていく 屋上エデン
美味しそう4点/歌として1点
ジャスミン茶の香りの当たりの強さを、幸せな雰囲気を同居させつつ比喩で表現することに成功している。下句での展開も健康的なイメージを醸し出す。印象の良さが美味しそうと感じさせる。

 

海の家の海より辛いらーめんを飲み干したとき波の音する 久真八志
美味しそう2点/歌として0点
暑さや塩分不足で食べるラーメンの味を思わせる。波の音につなげたことで味の印象がわからなくなっている。

 

日に干せばみな仏様の味だよとしわしわばあちゃんがくれたスルメ 高柳蕗子
美味しそう5点/歌として1点
するめの干からびた様とばあちゃんのしわがリンクしている。またばあちゃん自身が仏様のようで、もらったスルメがありがたい感じをまとっている。

 

昼前の肉屋の店頭コロッケをかっぽれかっぽれ揚げる音する 飯島章友
美味しそう6点/歌として5点
コロッケの揚がる音を「かっぽれ」という既にある言葉をオノマトペとして転用して表した点に工夫がある。めでたく楽し気な踊りの雰囲気が、これから揚がるコロッケの美味しさへの期待感を高める。商店街の景気の良さ、活気の良さも感じさせる。

 

葬列に明るいものを食べていた   白いクリームパンの看板 和里田幸男
美味しそう1点/歌として5点
何を食べていたかわからないが、全体的にぼわんとぼやけた光景が浮かび、面白いてざわりのある歌になっている。ただ美味しそうという感じはない。

 

ふわふわと春の香りのまぶされてミモザケーキのゆるやかにとけ HARUKA
美味しそう4点/歌として2点
やわらかい印象の言葉のなかで「ミモザ」の具体的なフレーズが効いている。くつろぎを感じる。

 

 

〈後半〉座談会


(沢)自分が食べたいと思ったもので作ったが難しかった。美味しそうに見えることを念頭に置いた。しかし「水のお餅」とやや具体性を欠いた表現のためわかりにくくなったかもしれない。
(山下)作った歌に意味づけをしたくなってしまい、結果的に暗い雰囲気になってしまった。明るい調子を目指してCMのフレーズを使ってみたが。
(吉川)美味しい歌は難しいという触れ込みだったが実際に難しかった。斎藤茂吉もウナギの歌のイメージがあるが、具体的にどんな歌があったか思い出せない。
(屋上)味を表現させようとするとコピーライティング的な言葉の使い方になり、短歌として良くしようとするときと別の使い方になる。その二つをマッチングさせるのが難しかった。
(久真)みんなが知っている味ということでラーメンを選んだ。ラーメンが美味しく感じる場面として海の家にした。普段は不味そうに食べ物を詠む方を好むので、難しかった。
(高柳)美味しいは美意識につながりにくい単純な価値判断なので、それだけでは短歌としての良し悪しになりにくい。詠いにくいテーマの場合は神仏や生死にからめることが多く、正攻法に近い攻略法かなと思っている。
(飯島)何かの最中ではなく間際を詠むという方針を立てた。できあがる前のワクワク感を出したかった。「かっぽれ」は「コロッケ」の音に近いオノマトペを探していて見つけたもの。
(和里田)やわらかいとか香りがどうとか、言えば言うほどかえって美味しくなさそうだったので、クリームパンの看板だけ提示してみた。自分としては看板に描いてある絵は美味しそうに感じるので。
(HARUKA)これまで美味しそうな歌を作ったことはなかったが、食べ物の歌はなかった。食べ物の雰囲気を詠いがちだった。嗅覚、触覚などを詠みこむことで味の表現を試みた。

 

・食べ物に特化した詩歌のアンソロジーを調べてみたが美味しそうな作品はあまりなかった。例えば俳句ならば茄子は季節感の表現だし、川柳ならアワビは別のものの比喩。短歌ならば歌枕として登場。他の何かを表すために食べ物を用いていることが多い。
・美味しそうな歌が難しい原因として、美味しさを表そうとすると表現が没個性になりがちな点があるのではないか。その理由として、美味しいはある程度誰にも共通の感覚であるため、最大公約数的な感覚を狙いがちになるからかもしれない。
不味さを表現するときの方が独自性を出しやすい。「パクチーはカメムシの味がする」とか。
・オノマトペは五感に訴える表現として用いやすい。美味しさの表現には適している。
「かっぽれかっぽれ」は単に音の表現ではなく、目新しさや元々の言葉のニュアンスを利用している点で優れている。
・美味しそうな歌と、短歌として良い歌はほとんど相関しない。しかし飯島さんの歌はどちらも得点が高く、両立しないわけではない。
・コピーライティングっぽさを目指そうとすると、その言葉を言っている人を感じさせない方向に行く気がする。短歌っぽさと逆になる。
もっとも、優れたコピーライティングはそういった要素と関係なく良いと感じさせる。
・「美味しさ」は良い歌を作るために道具的に使うもので、目的ではないだろう。一方で、食品のコマーシャルのコピー、は商品の売りとして「美味しさ」を表現する必要があり、それ自体が目的となる。
短歌としての良さにはいくつかあるが、「詩情」「リアルさ」の場合はそれ自体が目的にもなり得る。「美味しさ」の表現より階層が一つ上ではないか。「美味しさ」を含め「暑さ」とか単純な感覚は、階層が上のものを表すための手段に過ぎないのではないか。

・短歌では「食べ物」を出して感情などを詠うノウハウは蓄積されているが、逆はまだ多くない。短歌にはまだ開拓されていない領域があり、美味しそうな表現もその一つではないか。

 

〈参加者より〉
・歌会交えての座談会は話が抽象的にならずに良いです。
・企画自体が単純に面白くて、歌会も刺激的だった。そして、「美味しそうな歌」が成功しにくい、詠みにくいについては、いろいろな要因が複合されている、ということが実感できた。ただそれが混沌としたままの実感であり、
要因の洗い出しとか、それを組みあわせて仮説をたてるとかそういう方向での手応えは、あったけれどもやや弱かった。
        
(記/久真八志)
 

Kabamyレポート(第三十回)二〇一八年六月十日(日)
 於かたらいの道・市民スペース(第1会議室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、飯島章友、藤島優実、沢茱萸、山下一路、屋上エデン、木村友

今回は高柳蕗子さんの歌論集「短歌の酵母」(沖積舎)を扱います。その中でも巻頭の評論「トマトぐっちょんベイベー!」をテーマにします。

 

〇「トマトぐっちょんベイベー!」の要点
・「潰れたトマト」と「虐げられる人体(生命)」のイメージの結びつき。歌語としての暗示力の獲得。
・「トマト」を爐澆鵑吻瓩撚慮譴望些覆気擦襦爐澆鵑覆亮衒銑瓩箸い視点

 

〈前半〉歌会
題詠「トマト」(詠みこみ指定あり。ただし別名称は使用可) 参加者は作るにあたって「トマトぐっちょんベイベー!」を一読してくること。
無記名の状態で詠草を配布。良い歌に投票する(持ち点は自由)

 

・塩付きのしっぽふりふり肺がんの犬噛み砕く黄色いトマト 久真八志
2点:「黄色いトマトを犬が噛み砕く」のか、「黄色いトマトが犬を噛み砕く」のか。飛躍が多いのでどちらの意味にも取れてしまう。
黄色いトマトが食べているとするとパックマンのようなモンスターを想像する。塩付きのしっぽが修飾としてどう機能しているのかわからない。

 

・表情筋もたぬトマトの放血のざまにおもわず汚言症アゲイン 高柳蕗子
4点:まずプロレスの流血シーンを思い出した。加害者や被害者のいる風景がトマトを使ってうまくやわらげられている。
「汚言症アゲイン」の言い方が新しい。耳に残る。
「ざまにおもわず」のところで少し勢いが削がれているので、他の表現があるのでは。

 

・ポリティカルコレクトネスと唱へたらトマトのしみもみるみるきえる 
飯島章友
4点:「ポリティカルコレクトネス」が呪文でもあり洗剤の商品名のようでもある。
トマトのしみはトマトの色素沈着か?→洋服のしみではないか。
偏った意見(偏見)が汚れに喩えられており、そのような意見が公の場から姿を消している。それがポリティカルコレクトネス。人間臭い意見が漂白される現代の状況を描いているのでは。
トマトを用いた必然性はないかもしれない。

 

・トマトからトマトへ進む 縫うように食い散らかしてぼくは煙草蛾 
藤島優実
6点:煙草蛾は野菜一般を食べる害虫。トマトの表面の虫食いは煙草蛾の幼虫の仕業。結句の言い切りなどから、「ぼく」の高い自己肯定感を感じさせる。この歌もトマトが虐げられるイメージを利用している。
人間からは害虫だが、煙草蛾にとっては食い散らかすのは当たり前。その世界観の違いに面白みがある。
上句はあまり工夫がなく、効果がないのではないか。

 

・まだ若いトマトの青いにおいかぐ まるごと火事は海馬をわたる 沢茱萸
2点:青いトマトから火事(赤)につながる連想が面白い。「まるごと」がトマトを丸かじりしたような感触も想起させつつ、記憶が海馬を渡る感覚を強めている。
「若い」と「青い」は意味が重複しているのでどちらかでよいのではないか。
トマトのにおいと鍛冶の記憶が結びつく展開は、小説などならば魅力的な一節になり得る。

 

・桃太郎口いっぱいに頬張れば目から鼻から夏はとびだす 山下一路
4点:「桃太郎」はトマトの品種。しかしこの歌はキャラクターの桃太郎をかじっているかのように一瞬思わせる効果がある。
「夏はとびだす」とあるが、トマトをかじった描写のために、目から鼻からトマトジュースが飛びだすインパクトのある光景が浮かぶ。
夏とトマトとのつながりは順当なので(トマトは夏の季語でもある)、おさまりが良すぎるかもしれない。

 

・トマト投げ祭の赤い雨のなか昔のきみと出会ってみたい 屋上エデン
3点:「トマト投げ祭」はスペインの祭。街中が赤い洪水のようになる光景がニュースなどで流れる。
あくまで会いたいのは「昔のきみ」であって、「今のきみ」ではないところがポイントだろう。「昔のきみ」は永遠に変わらない存在であり、「今の私」はそれを求めている。
ところで現在の私の状況は、実際にトマト投げ祭の場にいるのか、トマト投げ祭の中で会いたいこと自体が比喩なのか、判然としない。

 

・道化師を庭に立たせてみたけれど手にも鼻にもトマトはならず 木村友
6点:他の歌と異なり、トマトの不在を詠っている。道化師を立たせる=いじめることが、虐げられる体=トマトのイメージと繋がっているので、そこで不在とする結句の意外性が効果をあげている。
道化師は普通ならば手品で花を出すので、手にトマトがなるというイメージもうまくつながっている。鼻ももともと赤いので同様。

 

〈後半〉座談会「今回の企画で歌を作るときに、考えていたこと」
・久真八志
赤いトマト以外のトマトを詠もうと考えた。黄色いトマトはつぶれても血ではなく、膿などの体液のイメージがあった。よって肺がんなどのイメージが出てきた。

 

・高柳蕗子
トマトが潰されるイメージを一歩進めて、トマトが残虐性をかき立てるようなイメージを考えた。トマトの感情が表されない気がしたので、表情筋を入れた。

 

・飯島章友
「直接的に言いにくいことを表せる歌材を歌人は探す」「みんなの手柄」などの視点を意識した。政治用語によってみんなの手柄が無化されるようなイメージが浮かんできた。

 

・藤島優実
プレイボーイのイメージで詠んでみた。トマトを詠むにあたって被害の連想から遠ざかり、楽しい雰囲気の歌にしようとしたのだが、結局はトマトが食い散らかされる女性の身体っぽくなってしまった。

 

・沢茱萸
潰れトマトの連想脈から離れようと意識し、飛躍のある形になった。読者に物語を喚起させるような歌になってしまったことは反省点。トマトのヘタの匂いは好きで取り入れてみた。

 

・山下一路
虐げられたものという連想から離れようと、明るい雰囲気で作ってみた。トマトとするよりは桃太郎と具体名にした。下句の夏は飛びだすはもう少しひねってもよかったかもしれない。

 

・屋上エデン
トマトと人間の血や命とのイメージのつながりを意識した。トマト投げ祭りのどろどろした光景に血まみれのまま生まれ変わるという連想を持った。そのため「昔のきみ」に会うという展開になった。

 

・木村友
虐められるイメージからは離れたいと思って詠んだが、実際は道化師が虐げられる様を表してしまっていた。立っている道化師のイメージは中原中也の詩から。

 

〈参加者より〉
・評論を読み、虐げるイメージをそのままに使わないように気をつけた人も、結果として虐げるイメージが歌に入った例もあって、「トマト≒心身の虐待」という連想脈は暗示表現にうってつけのレベルであり、作者の思い通りに操れない無意識領域ひたひたのあたりの表現であることもうかがえた。
・提出された八首すべてを時間をかけて鑑賞することができて、とても有意義に感じました。今回の「トマトぐっちょん歌会」では最後に作者が自分の作品についてコメントする時間が設けられ、それがとても面白かったです。作者の意図と「読まれ方」がかけ離れていた作品もいくつかあり、まさに短歌(歌語)が酵母菌をみるみる繁殖させているのを目の当たりにしたような、多少大げさですが、そんな印象を持ちました。        
(記/久真八志)
 

Kabamyレポート(第二十九回)二〇一八年四月八日(日)
 於かたらいの道・市民スペース(第1会議室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、飯島章友 
 今回のKabamyは「勝手にアンソロジーを企画しよう!」です。参加者それぞれが歌人アンソロジー企画を考えました。なお収録する歌人は100年以内に生まれた歌人に限ります。

 

〇飯島章友
『三十一文字(みそひともじ)のミステリー』  
・「三十一文字のミステリー」とは、本のタイトルであると同時に、あらかじめ与えられた方向性でもあります。「ミステリー」という方向性を与えられたとき、それぞれの短歌は作者の歌意を離れ、恐ろしくも蠱惑的なミステリーへと変わっていくことでしょう。収録歌から皆さんはどのようなミステリーを創出するのでしょうか。わずか三十一文字だからこそ、読者の想像力が活かされるのです。


■春日井建『未青年』
夜行針を壁よりはづせり十四歳の甥の水死の刻(とき)九時五分
■寺山修司『月蝕書簡』
義母義兄義妹義弟があつまりて花野に穴を掘りはじめたり 
■村木道彦『天唇』
マフラーは風になび交うくび長き少女の縊死を誘うほどの赤
■石川美南『離れ島』
なんとまあ重い肉塊 ひきずつて冬の休日診療所まで
■佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』
縊死、墜死、溺死、轢死を語りたり夕餉の皿に取り分くるごと
■東直子『青卵』
つぶしたらきゅっとないたあたりから世界は縦に流れはじめる
■浅井和代『春の隣』
いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり
■松平盟子『青夜』
梨をむくペティ・ナイフしろし沈黙のちがひたのしく夫(つま)とわれとゐる  
■加藤治郎『サニー・サイド・アップ』
樹をぬらす雨に目覚めて二階から姉の降りてくる気配をにくむ
■佐藤昌『冬の秒針』
うつむいてコピーしているわたくしをだれかがコピーしているような

 

〇高柳蕗子
『大人向けの美麗短歌絵本シリーズ 第一期 十人十色』
・体裁は横長の子供の絵本みたく、見開きで絵と短歌を配置する=30ページ
・イラストレーター3人で5人ずつとか
・コンセプトは鑑賞だが、巻末に解説。多少は年代や個性を比較しテーマを考察。
・「赤」の回を例示


■1919年生まれ杉崎恒夫
目が赤くなるのはC D花粉症モーツァルトはとくにあぶない
■1920年生まれ塚本邦雄
停電の赤き木馬ら死を載せてとまれり われはそれに跨る
■1928年生まれ馬場あき子
赤うをの煮こぼれし目の白玉はさびしくもあるか口にふふみて
■1929年生まれ高瀬一誌
十冊で百五十円也赤川次郎の本が雨につよいことがわかりぬ
■1936年生まれ寺山修司
トラホーム洗ひし水を捨てにゆく真赤な椿咲くところまで
■1941年生まれ高野公彦
文字清き原稿なれば割付【わりつけ】の赤字入れつつ心つつしむ
■1946生まれ河野裕子
目薬は赤い目薬が効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす
■1947年生まれ小池光
坂の上に真ッ赤に夕日がころがりをりのぼりつめたる人の吸はるる
■1950年生まれ山下一路
20箸寮屬ぢヾ錣冒泙傾まれた赤いあたまのボクはポンプだ
■1952生まれ藤原龍一郎
意思表示せぬままいくつ夏越えてさびしやわれのこの赤裸【あかはだか】
■1955生まれ渡辺松男
どの窓もどの窓も紅葉であるときに赤子のわれは抱かれていた
■1956年生まれ小島ゆかり
走り来て赤信号で止まるとき時間だけ先に行つてしまへり
■1958年生まれ坂井修一
夏の花赤(せき)大輪にあらねども散れよと見ればしづかに散れり
■1959年生まれ加藤治郎
少量の粉をふりまく水流に赤きひとひら巻きあがりたり 
■1962年生まれ俵万智
年末の銀座を行けばもとはみな赤ちゃんだった人たちの群れ
■1962生まれ穂村弘
回転灯の赤いひかりを撒き散らし夢みるように転ぶ白バイ
■1963生まれ東直子
「ハ・ル」という唇のまま時を止めふたりは赤きぼんぼりのなか
■1964生まれ佐藤弓生
遊園地行きの電車で運ばれる春のちいさい赤い舌たち
■1968生まれ千葉聡
赤クレーン ウルトラマンの故郷【フルサト】を指【さ】したらスイッチ切られちゃったよ
■1969生まれ吉川宏志
家中に塩が溜まってゆくように赤子は泣けり十月の夜を
■1969生まれ中沢直人
格上の私学で講義する朝の外耳は赤く勃起している
■1970生まれ梅内美華子
古書店に赤き文学全集のさびたるは酸き林檎のような
■1988生まれ千種創一
焦点を赤い塔からゆるめればやがて塔から滲みでた赤

 

〇久真八志
『21世紀のダメ男歌』
・既存の価値観では「男らしくない男」つまり「ダメ男」という烙印を押されかねない男性像をあえて表現している作者たちを集め、実際には多様である男性像を提示することで、「男らしさ」とは何かを考え直す新しい視点を読者に提供したい。


■吉川宏志
へらへらと父になりたり砂利道の月見草から蛾が飛びたちぬ
■山田航
たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく
■奥田亡羊
たまにしか会えない父は遠く来て子の玉入れの入らぬを見つ
■法橋ひらく
冬がくる 空はフィルムのつめたさで誰の敵にもなれずに僕は
■光森裕樹
母の名に〈児〉を足し仮の名となせる吾子の診療カードを仕舞ふ
■しんくわ
はっきりもっと鈍感になって近年の猪木のように年を取りたし
■吉田隼人
いくたびか掴みし乳房うづもるるほど投げ入れよしらぎくのはな
■永井祐
ミケネコがわたしに向けてファイティングポーズを取った殺しちまうか
■吉岡太朗
わしのした便のほのかなぬくもりがいつかは衆生(たみ)を救ふんやろうか
■江田浩司
少しずつ毒を混ぜたり出来る地位主夫というのは楽しかるらん


(記/久真八志)
 

Kabamyレポート(第二十八回)二〇一八年二月十二日(月)
 於あんさんぶる荻窪(第1会議室)
 

【参加者】高柳蕗子、久真八志、飯島章友、HARUKA、千葉聡 


 今回のKabamyは「少年と庭、少女と廊下―千葉聡と佐藤弓生、比べ読み!」です。千葉聡さんと佐藤弓生さんの作品を読み比べて、二人の作風の違いを考えてみようという企画です。

 

(1)イントロダクション 
クイズ:次の五首のうち、千葉さんと佐藤さんの作品はどれでしょう?
(A)さびしいといえばさびしい真昼間の黒鍵のないピアノを鳴らす    笹井宏之
(B)よく揺れるピアノの譜面台に棲む傷も光もぬるい液体    千葉聡
(C)春の日の不可知を問えばとうとうとピアノをあふれくる黒い水 佐藤弓生
(D)わたくしのしずかなピアノが声をもちその翼には銀河もうつる 井辻朱美
(E)ふと星がやわらかくなりいもうとと夜のピアノをひきあったこと 加藤治郎

 

(2)進行の説明
・「作風」の一要素として、あるキーワードをどのように扱うか、を今回は考える
・「少年」「少女」「庭」「廊下」は千葉さんと佐藤さんが共通で他の作者よりも高い頻度で使うキーワードであることがわかった。
【闇鍋調べ】
少年率 他の作者0.54%   佐藤1.12%  千葉1.07% 
少女率 他の作者0.47%   佐藤1.29%  千葉1.21% 
庭率  他の作者0.3%   佐藤0.56%  千葉0.54% 
廊下率 他の作者0.2%   佐藤0.40%  千葉0.67% 

 

(3)キーワードマップを作ろう
・チームを作り、各キーワードを割り当てる(前半は「少年」「少女」、後半は「廊下」「庭」で行った。ここではまとめて記す)
「少年」チーム:千葉、HARUKA、久真
「少女」チーム:高柳、飯島
「廊下」チーム:HARUKA、高柳、久真
「庭」チーム:千葉、飯島


・各チームは、割り当てたキーワードから連想する物事を自由にたくさん挙げる
大き目の付箋に書いて、模造紙に次々貼っていきます。インターネットなどで調べてもOK。

 

・印象(雰囲気、感じ)の近いものをグループ化する。グループの目安は5ケ前後。
付箋をグループごとに貼り直してまとめていきます。


・各グループの「トーン」を一言二言で表して、分類する。
グループに見出しをつける作業です。各キーワードは以下のトーンに分類されました。
少年……「アクティブ」「憧れ」「悩み」「学」「成長」「冒険」
少女……「元気、強い、あかるい」「弱い、獲物、ターゲット」「脱少女」「神秘」「カワイイ」
廊下……「仮のいこい」「長い」「逃げ場がない」「嫌」「移動」「異界への道」「屋内」
庭……「植物」「動物」「庭にあるもの」「イメージ」「文学の庭」「現実の庭」

 

(4)作品をあてはめてみよう
各チームに割り当てキーワードを使った千葉・佐藤両作者の作品を書いた短冊を配布。歌の短冊を、作品がさきほど作ったトーングループのうち近いものに置いていき、テープで貼る。

 

(5)作者の特徴をずばり言おう
これまでの結果をもとに、「千葉作品の【キーワード】のトーンは〇〇、佐藤作品の【キーワード】のトーンは〇〇。なお二人とも〇〇なトーンからは遠い」という内容をまとめる。それぞれ代表的な一首を添える。以下は代表的な一首ととともに、近い分類がされた歌を掲載。

 

・少年
佐藤弓生作品のトーンは「ネガティブな成長」
例歌:翅乾きゆくをとどめ得ず少年は少年を脱ぐ夏の夜明けに
千葉聡作品のトーンは「ポジティブな憧れ」
例歌:少年のまなざし そこにあるものもそこにないものも見ているような
どちらの作者とも遠いトーンは「悩み」「学」

 

・少女
佐藤弓生作品のトーンは「脱少女」
例歌:海へゆく日を待ちわびた少女期を思えば海はいまでもとおい
千葉聡作品のトーンは「神秘的な強さ」
例歌:この夏も少女漫画の新人賞めざしてる君 虹食いながら
どちらの作者とも遠いトーンは「かわいい」

 

・廊下
佐藤弓生作品のトーンは「廊下そのものが異界」
例歌:土くれがにおう廊下の暗闇にドアノブことごとくかたつむり
千葉聡作品のトーンは「閉ざされた場所の仮の憩い」
例歌:完全下校チャイムは消えて廊下には日ざしの匂いの闇が生まれた 
どちらの作者とも遠いトーンは「嫌」

 

・庭
佐藤弓生作品のトーンは「イメージの庭」
例歌:胸に庭もつ人とゆくきんぽうげきらきらひらく天文台を 
千葉聡作品のトーンは「現実の庭」
例歌:野球部の試合後、中庭で大声で応援団の解団式あり 
どちらの作者とも遠いトーンは「(庭に)ありがちなもの」


(6)考察
・各チームの分析結果をもとに、作者ごとのキーワードとそのトーンの関係をより抽象化して「作者の言葉の扱い方」を議論してまとめる。


《会場意見》
・千葉作品の「少年」「少女」には共通して、主体が対象を見ている構図があった。一方で佐藤作品の場合は共通して「少年」「少女」になりかわったような語り口がみられた。この点も両作者の差ではないか。
・佐藤作品の「庭」は、そこから宇宙を見ていたりする。また「廊下」でも宇宙のイメージがある。これらの場所のイメージは、どこか別の世界への飛躍を果たす出発点や飛躍先として登場している。
・4つのキーワードをまとめたときの千葉作品の傾向。少年や少女は、主体的に変化を求めそれを果たすエネルギーを持った存在として登場する。そして廊下や庭は学校の風景として登場するとともに、彼や彼女らのエネルギーが溜まる場所でもある。主体はそれらの場所からエネルギーを感じ取っている。もしかするとそのエネルギーは再びその場を通る誰かに還っていき、循環するのかもしれない。
・4つのキーワードをまとめたときの佐藤作品の傾向。少年や少女はいずれも彼や彼女らのものではない、大きなエネルギーにさいなまれている。それは彼や彼女の望むものではなく、不可避で宿命的なエネルギーである。「廊下」「庭」などの場所は、そのようなエネルギーの存在する世界から飛躍し脱出するための出発点あるいは飛躍先そのものである。とはいえ、飛躍した先にも別のエネルギーがあり、また彼や彼女はさいなまれるかもしれない。

 

《参加者の声》
・初期段階では第六感的な嗅覚(推理・洞察力)を使わなくて済むのは吉。
いきなり作品を見るんじゃなくて、先に、比較する語の一般的な連想脈を全部出しておく、という順序が吉。その段階では推理、洞察といった能力を使わない。
・千葉さんと弓生さんとは、共通点があるという感じがせず、そもそも比較しようと思ったことがない。でも、というか、だから、というか、共通して多用する語句による比較は、やりやすいし、有意義な相違点を浮き彫りにしやすいとも思う。
・千葉聡における「校庭」がしばしば現実との接点※として使われるならば、佐藤弓生は、校庭じゃなくて、何を現実との接点にしているか、というふうに、比較をもっともっと展開したかった。
(記/久真八志)